東北・宮城へ 2012/12

12月22日と23日に石巻市南三陸町を訪問してきました。
東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。
ここ暫く日記の更新を放置してしまいましたが、また再開できればと思います。


たまには振り返りをしてみようと思いました。
2012年5月に被災地を初めて訪問から16回目となりました。

年 月 訪問場所 内容 参加人数
2011年5月GW 岩手県遠野市 陸前高田市にて、津波で大破した水産工場から散らばったサンマ集め 1名
2011年5月 宮城県石巻市 津波で浸水した住居の泥かき 1名
2011年7月 宮城県
石巻市/気仙沼市
沖縄民謡の演奏活動 ※久保田先生のお手伝い 3名
2011年9月 宮城県山元町 イチゴ農家の手伝い。津波で浸水した住居の泥かき 2名
2011年10月 岩手県
大槌町/陸前高田市
福島県南相馬市/いわき市
宮城県
南三陸町/石巻市
沖縄民謡の演奏 ※久保田民謡研究所 十数名
2011年12月 宮城県
南三陸町/女川町
沖縄の民謡/ポップスの演奏 2名
2012年1月 岩手県
陸前高田市/釜石市/大槌町
沖縄の民謡/ポップスの演奏 3名
2012年2月 宮城県
南三陸町/女川町
沖縄の民謡/ポップスの演奏 1名
2012年3月 福島県いわき市 沖縄の民謡/ポップスの演奏 1名
2012年4月 福島県いわき市 沖縄の民謡/ポップスの演奏 2名
2012年5月 福島県南相馬市 沖縄の民謡/ポップスの演奏 1名
2012年6月 宮城県
南三陸町/女川町
沖縄の民謡/ポップスの演奏 1名
2012年7月 福島県南相馬市 沖縄の民謡/ポップスの演奏 8名
2012年10月 宮城県
南三陸町/女川町
沖縄の民謡/ポップスの演奏 1名
2012年11月 福島県いわき市 沖縄の民謡/ポップスの演奏
クイックマッサージの提供
2名
2012年12月 宮城県
南三陸町/石巻市
沖縄の民謡/ポップスの演奏
クイックマッサージの提供
2名

ボランティアとしては何も変わらないのですが、最近は沖縄の唄を唄う活動が多いです。



夜行バスで仙台に行き、仙台からレンタカーを借りて三陸道経由で移動します。
三陸道宮城エリアに行く場合の定番ルートとなりました。
また先月は福島県いわき市にて活動しましたが、先月から同じ高円寺に住む、
沖縄人喜友名君とともに活動する事にしました。
マッサージと三線のコラボレーションです。
仙台駅周辺は雪でした。





2012年12月22日 石巻市南三陸町


三陸道の河北IC近くの「仮設追波川河川団地」にて演奏です。
仙台駅で少しの休息の後、三陸道経由で移動を開始したのですが、雪が降り、大変寒いです。
いよいよ長く寒い冬に突入した事を実感します。


震えながら仮設の鍵を空けて中に入りました。
仮設の為が断熱材の効きが悪く、部屋が暖まるまでも時間が掛かります。
当初は誰も来ませんでしたが、開始時間になって、
ぽつぽつと人が集まり始めます。


最初に来た民謡好きのお父さんが素敵な歌声を聞かせてくださいました。
東北民謡も覚えたいなぁとは思っていますが、まだ先の話ではあります。
10人ほどの方が集まってくださり演奏をしました。



会場を後にし、南三陸町に向かいます。
南三陸町に向かう途中で、石巻市立大川小学校に立寄りました。
津波で多くの児童が流された惨い現場です。
北上川は目と鼻の先にあります。今回の悲劇が今後に生かされる事を切に願います。


南三陸町には銭湯がなく、唯一あるのは、ホテル観洋の露天風呂の為、
お風呂に入って会場に向かいます。ここのお風呂は海を見ながらお風呂に入れるのですが、夜なので何も見えませんでした。残念。



2カ所目は、南三陸町の港仮設住宅にて、歌津町を北に進んだ所にあります。
この仮設は、昨年12月より半年置きに訪問しております。3回目の訪問となりました。
顔なじみの方が沢山おられます。初めてあった時は、夜も不安で寝れないとおっしゃってましたが、だいぶんお元気になられました。
自治会長さんと中心に、チームワークは抜群です。
会長さんは長年ある組織にて、トップを勤め上げた方で人心掌握に長けておられます。


南三陸町は漁業の町ですが、
あわび、うに、わかめ。。。南三陸町での特産品の数々の漁が再開し始めています。
流された船を再建するにも高額の為、共同所有されるケースがほとんどですが、
徐々に三陸町の漁業は復興し始めているのでしょう。


南三陸町仮設住宅は総数で58件あります。
今回社協の方から、次のような話を聞きました。
「今後の活動については、これまで築き上げた関係をもって継続してほしい。」
つまり、新規の仮設住宅は紹介しないと言われました。
我々ボランティアにとっては、これまで活動していない、新たな仮設住宅で活動してゆく為には、社協さんのお力を借りる事が必須でしたが仕方ないと納得しました。


社協さんは多くの仕事を抱えています、これまでは、来てくれるボランティアさんに感謝して、様々なマッチング作業をしてくださいましたが、今後はこれからの事にどんどんと専念してゆきたいとの話でした。
すべての仮設58ヶ所に行きたいという思いは変わりませんが、
自分の力で開拓できるように、方法を考えてゆきたいと思います。
社協の方は大変忙しい模様ですが、この事もお伺いするに理解できます。
どうぞ体調を壊されませんように。



今回の訪問で少し南三陸は復興に向けて、小さくではあるけど
動き出している事を認識しました。
南三陸町にがれきの処理プラントも建設されて稼働していました。
ガレキ処理のスピードも早くなる事が期待できます。


来年の今頃は仮設住宅の数は現象しているかもしれない。
ただ、総数58カ所もある仮設住宅の数はすぐには減る分けもなく、時間はかかると思いますが、少しずつ復興に向けて進んでいるような気がします。
この日もお酒をいただきました。楽しい時間でございました。

2012年12月23日 南三陸町

翌日は朝から、南三陸町の大久保仮設住宅にて、
14世帯の小規模な仮設で10人集まってくださいました。
少しは役に立てたと思い、嬉しかったです。


志津川の同じ部落から
大久保仮設住宅は急遽建設が決まった住居で、当初は集会場も無かったそうです。
これまで訪問したボランティアの数は3組で、
訪問した事を本当に喜んでくださいました。


昼からは別の仮設で演奏をする予定でしたが、
周囲の集落でご不幸があり、今回は演奏中止となりました。
残念ではありますが、また次回お会いできる事を楽しみにしております。


時間が余ったので、南三陸社協のサテライトに行き、お茶とか食べ物をいろいろいただいてしまいました。
ありがとうございました。日曜日という事で多くの方はお休みのようでしたが、
忙しく様々な活動をされているようです。
その後、レンタカーで仙台まで戻り、新宿に無事戻りました。
あっという間の2日間でした。

まとめ


先月から、整体師の沖縄人喜友名さんと一緒に活動をしています。
彼は私の演奏する間に、皆さんのマッサージをしてくれました。
マッサージは大人気で「演奏よりもマッサージ」と数人に冗談でも言われた時は少し凹みました。(笑)
一つの仮設で7名ほど施術していたので、20人以上施術してくれました。
本当にお疲れさまでした。初めて見る光景にショックを感じていましたが、
これからガレキが無くなり、震災の傷跡が見えにくくなる前に一緒にこの地に来れた事は良かったと思います。
まだ復興は始まりかけたばかりですので、どうか多くの人にこの地を見てもらえたらと思います。