東北/岩手・大船渡市 釜石市へ

2014年5月4日/5日/6日/7日の4日間、岩手県の大船渡市と釜石市を訪問してきました。

東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。
最近の記事については、facebookで書く事にとどめていましたが、
改めて、ブログで書いてみる事にしました。
昨年7月以来、10ヶ月ぶりの東北となります。

2014年5月4日 大船渡市

昼過ぎに花巻空港へ到着後、花巻空港からレンタカーを借りて、大船渡へ!。
釜石道を経由し、二時間ほどで大船渡に到着しました。
その後、大船渡屋台村で知り合った、平山さんと1年程以来の再会。
この日は平山さんファミリーに同行させてもらい、平山さんのおばあちゃん(ばっちゃん)宅に泊めていただく事に。今日は特に演奏の予定もなく、平山さんに「どこか案内してあげるよ」という、ありがたい言葉をいただき、碁石海岸に行きました。
この日碁石海岸では「観光まつり」が開催されていたものの、碁石公園に到着すると観光まつりは終わっていて、碁石海岸を散策する事にしました。
平山さんからは、大船渡に関する色々な事を聞きました。
気仙地方の地形や、雷岩(波打つ音が雷のような音がする)の音が震災後、良く響かない事や、そして防波堤の話。
今度こそ、津波を食い止めるように、精密計算をした大きな堤防を作っている話等を聞きました。堤防は今度こそ、役に立ってくれるのでしょうか。巨大防波堤、人の命を守るものですので、しっかりとしたものが出来ればと思います。巨額の予算を使い、今度もダメは絶対に許されません。少し懐疑的です。


その後、夜は気仙地区唯一の沖縄料理屋「ゆめんちゅ」へ。
「ゆめんちゅ」は、大船渡屋台村の中にあります。
大船渡の繁華街はすべて津波に流され、跡地を復興させる熱い心を持った方が作った仮設店舗で出来た屋台村です。はじめて大船渡を訪れた日にこの店を訪問し、Hさんご夫婦と出会いました。それ以来の付き合いです。
この日は屋台村のステージで演奏させてもらう事になりました。
折角の機会なので八重山民謡を沢山披露したかったのですが、受け入れてもらう自信がなく、仮設で演奏する沖縄ポップスを中心に演奏しました(実力不足!準備不足!)。
夜のステージでしたが、昼間は半袖で過ごせる暑さに比べ、夜は冷え込みが厳しく、平山さんファミリーも寒さに震えながら見てくれました。すいません。しかし、最後はカチャーシーで、被災地支援に来られている「今そこに落語と笑いを配達する演芸団」の方や地元の方とカチャーシーで楽しみました。感謝。
その後、交流をしたかったのではありますが、ゆめんちゅの圭二さんには、後日お店を訪問する事を伝えて、今日は平山さんのばっちゃん宅へ。平山さん一家に囲んでもらい、大船渡の伝統料理(締め煮や山菜)や海の幸をごちそうになり、あつかましすぎると思いつつも、甘える事に。本当に幸せです。ありがとうございます。
大阪にも来て欲しいです。

2014年5月5日 大船渡市


震災から三年がすぎましたが、復興住宅の建設も徐々には進んでいるようです。
朝起きて、平山さんのばっちゃん宅近所に出来たという、「復興住宅」を見せてもらいました。
立派な住宅ですが、抽選順だそうです。
やむなしとはいえ、抽選順は難しいですね。
震災から3年間、仮設住宅で築き上げた人間関係も、復興住宅に移った時はもう一度やり直しだそうです。若い人はそれで問題ないのでしょうが、年配の方にはこの方法が本当に良いのかと思いました。

5/5は一カ所の仮設住宅を訪問。
ゴールデンウィークの祝日という事で受け入れてもらえる仮設住宅がほとんどありませんでしたが、
以前訪問した「長洞仮設」で受け入れてもらいました。




前回は集会場での演奏でしたが、今回は集会所近くのサポートセンターにて演奏しました。
長洞仮設は大船渡で最大規模の仮設で、集会場の他に、公民館やサポートセンターなど様々な施設があります。
沖縄を感じるようなポスターを張っていただき、職員の方には感謝です。


演奏はいつもと変わりませんが、何とか無事に終えました。
チラシもいつもと変わりません。出来るだけの事を精一杯やろうといつも思います。
演奏後に、長洞仮設の自治会長さんがおっしゃりました。
『山蔵さんは一年後、またここに来てくれるかも知れないけど、おそらく半数の人がここを出ていなくなっているだろう。そして他の仮設住宅から、新たな入居者がやって来るだろう。』とおっしゃってました。
先述の復興住宅や集団移転などで、仮設を退去する住民の方が今年から増えてゆくという話です。
大船渡市では、学校等、敷地を借りている仮設住宅が優先的に閉鎖となり、最終的に長洞仮設のような大規模な仮設が残るそうです。来年、大船渡を訪問した時には、どうなっているんだろうかと思いました。

そして、夜は「ゆめんちゅ」へ。
「ゆめんちゅ」はいつもお客さんで一杯です。
「儲かってるでしょ」というも「大変ですよ。」とおっしゃってました。
店内で、近藤さんというバイカーと出会いました。
近藤さんはバイクで日本中を旅されているとの事ですが、最近はもっぱら東北に来ているとの事、数ヶ月おきに、石巻のお気に入りの店(失念!)で「ささかま」を買い、そして大船渡で「ゆめんちゅ」に来て、しこたま呑む事だそうです。他にも近藤さんの楽しみが色々ありそうですが、聞きそびれました。

店内で話をしました。主に旅の話をしました。
旅の手段は色々あれど、旅の楽しみは「人との出会いだな!」という結論になりました。
僕もそうだなと思います。色々な方々との出会いがあったから、この東北も沖縄も好きになったと感じています。ボランティアではなく、「旅」に来ているんだ!と感じると妙にスッキリしました。人との出会いを大事に時々、この旅を続けてゆきたいです。

ゆめんちゅの圭二さんが言っていた「震災前よりも良い町にしたい」という言葉が心に残りました。
これから夏に掛けて、屋台村のステージでライブを連日されるとの事です。
屋台村の周辺が電灯が少ないからか、暗いのが気になっていました。
もっともっと屋台村を中心に町が盛り上がってゆけばと思います。

2014年5月6日 釜石市

今日は釜石市に向かいます。


早朝に出発して時間があったので、釜石に向かう前に、陸前高田に向かいました。
2011年の5月に「まごころねっと」を利用して陸前高田でのボランティア活動に参加し、
その時に「奇跡の一本松」は遠くからみた事がありましたが、「奇跡の一本松」を近くでしっかりみた事はありませんでした。それで一度見に行く事に。
「奇跡の一本松」については、あまり感動はありませんでした。
個人的には、億単位の補修金額をかけるよりかは、高田松原を復興させるための植林費用に、もしくは住民の為に使って欲しかったですが、でも地元が選択した事なので、観光資源として、うまく行けばいいと思います。
駐車場でお守りを販売していましたので、一つ購入しました。
岩手県津波の地域については一律の方針があるそうで、「8mかさ上げ工事を行う。」そうです。その為か、山からベルトコンベアでかさ上げの為の石が運ばれていました。
まだ陸前高田も当たりは一面更地ですが、来年来た時は少し変わっているかもしれません。

この日は以前訪問した仮設を中心に三カ所回りました。
甲子第6仮設 10:00〜11:00
天神仮設   13:00〜14:00
小白浜仮設  15:00〜16:00




小白浜仮設では一つ、失敗をしてしまいました。
車のライトを付けっぱなしで演奏してしまったのです。演奏が終わり、その後のラジオ体操にも混ぜてもらい、帰ろうと思ったら、バッテリーが上がっていました。結局、仮設の方に助けてもらい、またエンジンをかける事はできました。
ご迷惑を掛けてしまったのですが、その後、談話室での演奏に来られていない方とも交流できました。お礼を何かしないとと思いますが、また交流できれば嬉しく思います。

一日、仮設を三カ所回るのは久しぶりで疲れましたが、その後は花巻温泉でのんびりしました。鉛温泉の藤二旅館でした。最高でした。もう一日、東北に居させてもらう事にしました。


2014年5月7日 釜石市






花巻温泉でテレビを見ていると、三陸鉄道の特集が放映されていました。
まだ三陸鉄道には乗った事がありませんが、乗ってみたくなりました。
釜石⇔盛間を運行する南リアス線に乗るため、8時半過ぎに花巻温泉を出発し、
釜石駅には11時に到着。時刻表を見ると予想以上の運行する本数が少なく、今回は乗車する事を見合わせる事にしました。
変わりに空いた時間で、久しぶりに大槌町を訪問してみる事にしました。
釜石から大槌町までは20分程度あれば行く事ができます。
大槌町には何度か訪れた事がありましたが、今までは仮設住宅のある「小槌」地域しか行った事がなかった為、
他の地域も訪ねてみました。大槌町役場の辺りは被害が大きかったようで、一面更地でした。
しかし、更地ながら、更地の8mかさ上げ計画は進んでいるようでした。
一年後には一定の成果があるかもしれませんが、すべての仮設が無くなるにはまだまだ時間がかかりそうです。

この日は一件だけ、演奏予定がありました。
14:00 特別養護老人ホーム「アミーガはまゆり」


以前、仮設で知り合ったSさんに紹介してもらった場所です。
震災直後は、避難所になっていたそうです。
施設がとても豪華で立派なステージでビックリでした。
過去に新日鉄釜石時代に、釜石の町を築き上げてきた方が入居されています。
ここでも特にこれまでと変わらずに演奏しました。
スタッフの方に盛り上げていただき、感謝でした。

Sさんとは時々、釜石の事を伺う機会がありましたが、あまり時間がなくお伺いできませんでした。残念ですが、また釜石にもいつか来たいと思います。
「鉄の街」釜石も、新日鉄住金釜石となり、より町が栄えてゆくことを希望します。
震災の傷跡はまだまだ癒される事はありませんが、それでも少しずつ、復興に向かい始めていると思い、釜石の町を後にしました。

東北/福島・いわき市へ 

2013年5月18日/19日/20日と3日間福島県いわき市を訪問してきました。
東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。
2013年からも1月2月4月と活動を継続していましたが、また放置してしまいました。また再開できればと思います。
沢山の人と唄を唄って帰ってきました。


行った場所
5/18
13時〜高久第四仮設(広野町から避難)
15時〜四倉細谷仮設(楢葉町から避難)


5/19
10時〜高久第十仮設(楢葉町から避難)
13時〜四倉鬼越仮設(広野町から避難)
15時〜作町一丁目仮設(楢葉町から避難)


5/20
10時〜小名浜相小島仮設(楢葉町から避難)
13時〜銭田仮設(楢葉町から避難)
15時〜高久第八仮設(楢葉町から避難)


昨夜、高速バスで東京に帰ってきましたが、
車中、何故か色々泣けてきて、考えてしまいました。
数えると被災地訪問は20回を越え、淡々とタスクをこなす回もありましたが、
今回感じたのは大きな「無力感」でした。
2011年10月の時に沢山の仲間と被災地を訪問した時に感じた感覚と似ています。


何人かの住民の方が「楢葉に帰ったら遊びに来てね!」と行ってくれました。
もちろん遊びに行きたい!。でも現実は大変厳しい。
除染は限定的で、地下に解けた放射性物質についても、はっきりと状況が分かっていないと聞きます。
すごく危険に感じます。


ただ、楢葉町内でスーパーが再オープンをしたり、町の人の「帰還への思い」は確実に形になり始めている。
今回の旅で、ならはの中を見て来たらよかったです。時間が無かったのですが、少し後悔しています。
まずは、これから2年後どうなっているかを見つめつづける事にしました。
2年後、仮設住宅を訪問した時にどのように様変わりしているのでしょうか。


演奏後に皆様で写真を取るようにしています。皆様良い笑顔をして下さいます。
被災者の方が何故、皆笑顔で迎えてくれるんでしょう。
私は「嬉しい」からだと思っています。
逆に行く予定の人が来なかったりすると、
住民の方は、その人の事情も理解しながらも大変「寂しい」と落ち込むそうです。
震災が過去の事になってしまうのが大変怖いのでしょう。


故郷へ帰れない方達も、二年が過ぎて少しずつ、前に進み始められています。
ですが、まだ進めない人もいます。
そんな人達と唄を通じて交流し、楽しい時間を過ごしてもらう事が私の役割なんだろうと思います。


今回も家族世帯の仮設住宅を見せていただきましたが、
最低限の生活はできるものの、空間が圧迫してて大変狭いです。
やはり高台移転等、仮設をでてゆく事が自立への第一歩と言えます。
南三陸町等では、町自体の復興はまだまだですが、仮設住宅は来年くらいから、
徐々に減り始めるのでは無いかと思っていますが、福島の場合は、
帰れる土地が危険な場所の為、簡単には進まない事と思います。


若い人と交流を持つ機会はほとんどなく、
本当はどんな事を考えているのか交流してみたいですが、
そのような機会がありません。そのうち生まれるのかもしれません。


いわきで活動して感じますが、仮設住宅等に行って、音楽で交流を持とうとする人は
本当に少ないです。特に個人で行く人は全然いません。
都内で復興チャリティパーティ等もありますが、時には被災地を訪ねて、
自分の目で見て感じる事がものすごく大事なのではないかと。


特に東京からいわきは近いです。高速バスに乗って東京から三時間です。
しようと思えば日帰りもできます!
原発から50km圏内です。何か原発が爆発でもすれば、確実に大混乱しますし、
安全とは言えませんが、今は町の暮らしも安定し初めています。
なんだか被災地が忘れ去られている状況になり始めているのではと、現地を見て改めて感じた今日この頃です。

東北・宮城へ 2012/12

12月22日と23日に石巻市南三陸町を訪問してきました。
東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。
ここ暫く日記の更新を放置してしまいましたが、また再開できればと思います。


たまには振り返りをしてみようと思いました。
2012年5月に被災地を初めて訪問から16回目となりました。

年 月 訪問場所 内容 参加人数
2011年5月GW 岩手県遠野市 陸前高田市にて、津波で大破した水産工場から散らばったサンマ集め 1名
2011年5月 宮城県石巻市 津波で浸水した住居の泥かき 1名
2011年7月 宮城県
石巻市/気仙沼市
沖縄民謡の演奏活動 ※久保田先生のお手伝い 3名
2011年9月 宮城県山元町 イチゴ農家の手伝い。津波で浸水した住居の泥かき 2名
2011年10月 岩手県
大槌町/陸前高田市
福島県南相馬市/いわき市
宮城県
南三陸町/石巻市
沖縄民謡の演奏 ※久保田民謡研究所 十数名
2011年12月 宮城県
南三陸町/女川町
沖縄の民謡/ポップスの演奏 2名
2012年1月 岩手県
陸前高田市/釜石市/大槌町
沖縄の民謡/ポップスの演奏 3名
2012年2月 宮城県
南三陸町/女川町
沖縄の民謡/ポップスの演奏 1名
2012年3月 福島県いわき市 沖縄の民謡/ポップスの演奏 1名
2012年4月 福島県いわき市 沖縄の民謡/ポップスの演奏 2名
2012年5月 福島県南相馬市 沖縄の民謡/ポップスの演奏 1名
2012年6月 宮城県
南三陸町/女川町
沖縄の民謡/ポップスの演奏 1名
2012年7月 福島県南相馬市 沖縄の民謡/ポップスの演奏 8名
2012年10月 宮城県
南三陸町/女川町
沖縄の民謡/ポップスの演奏 1名
2012年11月 福島県いわき市 沖縄の民謡/ポップスの演奏
クイックマッサージの提供
2名
2012年12月 宮城県
南三陸町/石巻市
沖縄の民謡/ポップスの演奏
クイックマッサージの提供
2名

ボランティアとしては何も変わらないのですが、最近は沖縄の唄を唄う活動が多いです。



夜行バスで仙台に行き、仙台からレンタカーを借りて三陸道経由で移動します。
三陸道宮城エリアに行く場合の定番ルートとなりました。
また先月は福島県いわき市にて活動しましたが、先月から同じ高円寺に住む、
沖縄人喜友名君とともに活動する事にしました。
マッサージと三線のコラボレーションです。
仙台駅周辺は雪でした。





2012年12月22日 石巻市南三陸町


三陸道の河北IC近くの「仮設追波川河川団地」にて演奏です。
仙台駅で少しの休息の後、三陸道経由で移動を開始したのですが、雪が降り、大変寒いです。
いよいよ長く寒い冬に突入した事を実感します。


震えながら仮設の鍵を空けて中に入りました。
仮設の為が断熱材の効きが悪く、部屋が暖まるまでも時間が掛かります。
当初は誰も来ませんでしたが、開始時間になって、
ぽつぽつと人が集まり始めます。


最初に来た民謡好きのお父さんが素敵な歌声を聞かせてくださいました。
東北民謡も覚えたいなぁとは思っていますが、まだ先の話ではあります。
10人ほどの方が集まってくださり演奏をしました。



会場を後にし、南三陸町に向かいます。
南三陸町に向かう途中で、石巻市立大川小学校に立寄りました。
津波で多くの児童が流された惨い現場です。
北上川は目と鼻の先にあります。今回の悲劇が今後に生かされる事を切に願います。


南三陸町には銭湯がなく、唯一あるのは、ホテル観洋の露天風呂の為、
お風呂に入って会場に向かいます。ここのお風呂は海を見ながらお風呂に入れるのですが、夜なので何も見えませんでした。残念。



2カ所目は、南三陸町の港仮設住宅にて、歌津町を北に進んだ所にあります。
この仮設は、昨年12月より半年置きに訪問しております。3回目の訪問となりました。
顔なじみの方が沢山おられます。初めてあった時は、夜も不安で寝れないとおっしゃってましたが、だいぶんお元気になられました。
自治会長さんと中心に、チームワークは抜群です。
会長さんは長年ある組織にて、トップを勤め上げた方で人心掌握に長けておられます。


南三陸町は漁業の町ですが、
あわび、うに、わかめ。。。南三陸町での特産品の数々の漁が再開し始めています。
流された船を再建するにも高額の為、共同所有されるケースがほとんどですが、
徐々に三陸町の漁業は復興し始めているのでしょう。


南三陸町仮設住宅は総数で58件あります。
今回社協の方から、次のような話を聞きました。
「今後の活動については、これまで築き上げた関係をもって継続してほしい。」
つまり、新規の仮設住宅は紹介しないと言われました。
我々ボランティアにとっては、これまで活動していない、新たな仮設住宅で活動してゆく為には、社協さんのお力を借りる事が必須でしたが仕方ないと納得しました。


社協さんは多くの仕事を抱えています、これまでは、来てくれるボランティアさんに感謝して、様々なマッチング作業をしてくださいましたが、今後はこれからの事にどんどんと専念してゆきたいとの話でした。
すべての仮設58ヶ所に行きたいという思いは変わりませんが、
自分の力で開拓できるように、方法を考えてゆきたいと思います。
社協の方は大変忙しい模様ですが、この事もお伺いするに理解できます。
どうぞ体調を壊されませんように。



今回の訪問で少し南三陸は復興に向けて、小さくではあるけど
動き出している事を認識しました。
南三陸町にがれきの処理プラントも建設されて稼働していました。
ガレキ処理のスピードも早くなる事が期待できます。


来年の今頃は仮設住宅の数は現象しているかもしれない。
ただ、総数58カ所もある仮設住宅の数はすぐには減る分けもなく、時間はかかると思いますが、少しずつ復興に向けて進んでいるような気がします。
この日もお酒をいただきました。楽しい時間でございました。

2012年12月23日 南三陸町

翌日は朝から、南三陸町の大久保仮設住宅にて、
14世帯の小規模な仮設で10人集まってくださいました。
少しは役に立てたと思い、嬉しかったです。


志津川の同じ部落から
大久保仮設住宅は急遽建設が決まった住居で、当初は集会場も無かったそうです。
これまで訪問したボランティアの数は3組で、
訪問した事を本当に喜んでくださいました。


昼からは別の仮設で演奏をする予定でしたが、
周囲の集落でご不幸があり、今回は演奏中止となりました。
残念ではありますが、また次回お会いできる事を楽しみにしております。


時間が余ったので、南三陸社協のサテライトに行き、お茶とか食べ物をいろいろいただいてしまいました。
ありがとうございました。日曜日という事で多くの方はお休みのようでしたが、
忙しく様々な活動をされているようです。
その後、レンタカーで仙台まで戻り、新宿に無事戻りました。
あっという間の2日間でした。

まとめ


先月から、整体師の沖縄人喜友名さんと一緒に活動をしています。
彼は私の演奏する間に、皆さんのマッサージをしてくれました。
マッサージは大人気で「演奏よりもマッサージ」と数人に冗談でも言われた時は少し凹みました。(笑)
一つの仮設で7名ほど施術していたので、20人以上施術してくれました。
本当にお疲れさまでした。初めて見る光景にショックを感じていましたが、
これからガレキが無くなり、震災の傷跡が見えにくくなる前に一緒にこの地に来れた事は良かったと思います。
まだ復興は始まりかけたばかりですので、どうか多くの人にこの地を見てもらえたらと思います。

東北・福島へ 2012/07

7月14日・15日の両日に福島県南相馬市に沖縄三線の演奏に行きました。
東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。


今回は私が八重山民謡等の稽古に混ぜていただいている久保田晃平教室のみんなと行ってきました。
沖縄から東北への旅を頻繁に行っていた久保田先生が、8月に手術をする事でしばらく東北に行けないという事になり、生徒同士で行ってみようかという話になりました。
参加者を募った所、7人の仲間が手を上げてくれて、皆で旅をしてみる事にしました。
場所は私が5月に訪れた南相馬市を再訪問する事にしました。
南相馬市原発事故のおかげで、先の見えない暗闇がある場所です。
決して安心とは言い切れないこの場所で、みんなで力を合わせて、みんなで何かを感じる事ができればと、南相馬市での活動を提案しました。


トータルで仮設住宅の5カ所での活動を行いました。
みんなでお揃いのムイチャーを用意して、いざ出陣です。


7月14日 南相馬市

この日は2ヶ所での活動となりました。


前日に夜行バスで福島に移動し、到着した福島駅から6時30分発の南相馬市行きバスで移動します。
先発隊として一人行動です。前回は福島でレンタカーを借りましたが、
今回は移動距離を減らす為に、南相馬市でレンタカーを借りる事にしました。
パスの中では、緑の山道を抜ける緑が美しく心を和ませます。
しかしこの場所も放射線量は決して低くない事を前日の調査で分かっていました。
複雑な気持ちで南相馬に向かいます。


南相馬市原町駅前にバスは無事到着し、レンタカーを借りてまず社協に挨拶に行きます。
南相馬市でのボランティア活動はまず社協に挨拶して登録してから始まります。
皆様も南相馬に来られたらこのルールをお守りください。
これまで数多くの社協の方とやりとりをしましたが、
南相馬市社協がボランティアの管理を一番きめ細かな管理を行っています。
反面、きめ細かい活動をするには職員の数が正直不足しているとも感じていたりします。
いつも人が足りない忙しい状況の中で、開場の手配等大変お世話になっておりまして、感謝しています。


その後は、早朝に東京を出発してきた仲間と合流して、会場の仮設住宅に向かいます。
一つ車の手配で手違いがありました。9人乗りを予約したのですが、シートが2つしかない。
つまり6人しか座席がありません。これはまずいなという事でホームセンターでレジャーシートを
購入し、シートの無い場所ではゴロ寝してもらう事にしました。
思ったよりも好評でほっとしながらの出発となりました。


13時 小池長沼仮設住宅 西集会場
鹿島区の小池周辺は大規模が仮設がいくつも密集しています。
まるで団地の中にいるような感じです。
さて、初の8人でのライブです。
進行もスムーズに行かず、ギクシャクしてしまい、
どうやって話せばいいのか、難しいなぁと感じていました。
一人で活動している時は、自分の気持ちだけを伝えればいいので、気楽ですが、
今回はグループなので、みんなの気持ちをすこしずつ合わせて行く作業が
必要なんだなぁと感じていました。皆もそう思っていたのではと思っています。



二カ所目です。
15時 友伸グランド仮設住宅 集会場
ライブ終了後に泊めていただく約束をしていた場所です。
2ヶ月前も一人で訪問した際にお世話になり、
同じ顔ぶれの方が多数いらっしゃいました。
前回は実はムイチャーを持参していたのですが、帯を忘れたため、
前回はジーパンとTシャツで演奏していたのですが、
2ヶ月前の僕の顔を「覚えているよ。」と行ってくれた人が多数いてくれてとても嬉しかったです。
自治会長さんはご不在で、代わりに会長さんの奥さんが面倒をいろいろ見てくださいました。


この日泊めてもらうにあたり、布団を六組貸してもらえると自治会長さんにお聞きしていましたが、
本来は私達でシーツ類等を用意する必要がありました。
ですが、何も用意できておりませんでした。今度から来る時は気をつけます。
お菓子を持参しようと提案してくれた、なわちゃんにも感謝しています。
四時過ぎにライブが終わり、まだ寝るには時間があるので、
近くの温泉と、食事に向かいます。


まず、温泉に行く前に海岸に向かいました。
原町火力発電所の近くに行きました。
いろいろなものが流されてしまっている事が分かる場所でした。
驚いたのは、津波でいろいろな物が流されたであろう場所に、
新築建設中の豪邸があるのです。
普通は、あの場所に立てるはずがないと思うのですが、
また津波がいつか来ようとも、故郷を離れずに絶対に住み続けるという、
家を立てた方の気持ちが伝わってきます。
故郷への強い思いを感じます。
いい家が出来ればいいなと思ってみていました。


さぁ、温泉に向かいます。
温泉は「はらまちユッサ」という温泉です。
http://www.day-onsen.com/sisetu/0/sisetu849_home.html
温泉はいろいろな傷を癒してくれていいものです。
先日、左足の一差し指がパックリ割れる大怪我をしたのですが、
怪我の治癒にとても良いお湯のように感じました。
あまりお湯が熱すぎる事も無く、東京の銭湯の熱い湯船に今だ慣れない私にとってとても有難かったです。
先日別の温泉に行き、とても感動したのですが、
「はらまちユッサ」もとても素晴らしい温泉でした。
南相馬に来たらまた是非、また利用したいと思います。


その後はメンバー8人で簡単なお疲れさん会です。
南相馬で一番の繁華街である原町駅近くに来ましたが、
店はあまり開いておらず、良さそうな店を見つけても8人は無理と断られ続け、
結局入った先は居酒屋「村さ来」でした。先日、三線教室の打ち上げで十数年ぶりに利用して以来、
なぜか「村さ来」の利用が続いていて、不思議な感じでした。
村さ来」が学生の時によく行った場所で懐かしく思っていました。
私は「和民」より「村さ来」の方が好きです。どうでも良い話ですね。
代行運転を頼りに、本日の寝床である、友伸グランド仮設の集会場に戻り、
みんなで少し話をしていました。
が、気がつけば眠っていました。いろいろ疲れたけど、みんなで力合わせて頑張れました。
楽しかったです。さあ、明日はどうなるか。
以上、一日目終わりです。


7月14日 南相馬市

この日は三カ所で活動です。
朝起きて、泊めてもらった仮設の自治会長さんに挨拶をして、
まずは社協にみんなで活動報告に向かい、活動開始です。


10時 原町牛越三 集会場
イオンのスーパーが近くの仮設です。
沢山の方が朝早くにも関わらず集まってくださいました。
三回目の演奏という事でみんなの動きもスムーズでした。
そう、今回の旅は、沖縄とハワイのコラボレーションです。
フラダンスの縄ちゃんとタカエちゃんが参加してくれました。
住民の方が、三線の音色や歌とフラの踊りで癒されればいいという気持ちです。


フラダンスのタカエちゃんは、
ハワイ語のアロハ「Aloha」についての意味も説明してくれました。
アロハの5文字にはそれぞれ意味があるのです。

  1. A - Akahai(上品さ、優しさ)
  2. L - Lokahi(調和)
  3. O - Olu'olu(前向きさ)
  4. H - Ha'aha'a(謙虚さ)
  5. A - Ahonui(忍耐)

普段聞く事のない話に、住民の方も興味心身といった様子で聞かれていました。
タカエちゃんは、ハワイのやさしい言葉で皆さんを励ましたかったのでしょう。


そして、今回のライブでは、大きな歌詞カードを仲間が用意してくれました。
三線仲間のあさちゃんと、さとみんが用意してくれたのは、マジックボード2.5枚分の巨大な歌詞カードでした。
見た時は少し大きすぎるかと思ったのですが、とても良かったと思います。
見る人も前を向きながら唄う事ができて、唄いやすかったのではと思います。ありがとう!。


13時 寺内弟二応急仮設住宅 集会場
こちらは、最初に会長さんから「観客がすくないかもしれないけど大丈夫?」と言われました。
私は全く見に来る人がおられなくても大丈夫というスタンスでしたが、沢山の人が見に来てくれました。
おそらく仮設住宅の中でも早くからできた建物ではないかと思います。
年配の方がいらっしゃいます。年配の方が多いのですが、皆さんのとてもいきいきとされておられました。
90歳を越えたおばーちゃんもニコニコしながら見てくださいました。
ライブが終わってから、見ていた住民のお母さんが、南相馬の踊りを披露してくださいました。
このような普段見れないものを見せていただく事はとても嬉しく思います。
踊りの途中で、かけ声を発せられるのですが、踊っていない他の方も奇麗に合わせたかけ声を聞かせてくださって、
とてもいいものが見れたと思いました。


15時 牛河内第四仮設住宅 集会場
前回くらいから、集中力が切れ始めてヤバい状態でしたが、最後に気持ちをいれ直して、
みんなで頑張りました。
当然ながら5回目だからかもしれませんが、一番効率よく
みんなで良い演奏ができたと思っていました。技術はありませんが。
今回のライブでもこれまで同様に最後は故郷で締めくくります。

演奏曲です。

  1. 安里屋ゆんた
  2. てぃんさぐの花
  3. 島唄
  4. 島人の宝
  5. 月ぬかいしゃ節
  6. 小浜節
  7. 見上げてごらん夜の星を
  8. オリオンビール
  9. 鳩間の港
  10. ふるさと

皆で曲を決めたのですが、最後の故郷だけは、唄いたいとお願いしました。
いつもやっている事で私にとっては絶対に必要な事なので。
故郷に帰らない人に「故郷」を唄わせるなんて、残酷な事で
とても「唄ってください」とは言えないけれど、心をこめて僕たちの思いを伝えたい、
その為だけにいつも唄います。
多くのこの地にやってくる人が「故郷」という曲を最後に唄うそうです。
ある意味当然なのでしょうね。ボランティアのみなさんの優しい心が「故郷」を唄わせるのだと思います。
時にはそんな「故郷」が住民の方には辛い時もあるそうです。
もしそんな時が来れば頭を下げて「ごめんなさい」というしかありません。
ただ、できれば、他のボランティアの方達と同様に、
この地が故郷として蘇る事を心より願いますので、心をこめて故郷を唄います。
被災地の方達に「もう来なくていいよ」と言われるまでは、
しつこくこのスタイルで、訪問し、心の交流を行いたいと思います。
以上で終わりました!


最後に

最近は一人もしくは二人での活動が中心となっていましたが、
今回は沢山のメンバーでの活動でした。
グループ名は「なんくるないさーず」という名前を、
メンバーのえみちゃん、なわちゃんが付けてくれました。
グループ名の元となる、「なんくるないさ」は
「前向きに生きていれば、きっといいことがあるさ」という事だそうです。


メンバー紹介です。
こんなの書いた事無いけど、書いてみました。
下の写真はすべて予定が終わって原の町駅バス停で乾杯するメンバー達です。

  1. あさちゃん、メンバーの中で民謡が一番上手いです。
  2. えみちゃん、ポップスがメンバーの中で一番上手です。
  3. さとみん 民謡が上手です。くぼちよさんに「僕より歌上手いね」といわれますが、その通りだと思います。
  4. ふじこさん、私の同門です。私が兄弟子になりますが、実際はねぇさんなので頼りにしています。
  5. なわちゃん、フラガールです。いろいろなイベントを仕切るパワフルな姉さんです。
  6. たかえちゃん、フラガールです。福島いわき人でこの震災についての思いは人一倍強いです。
  7. タニグー、私と同じ男性です。よく喧嘩もしていますが、今回頼りにしてました。
  8. 今回のツアーで来れなかった、くぼちよ教室の生徒さん達。※2012/8/13追記

今回のツアーでは、残念ながら諸事情で参加できないメンバーもいました。
そんな人達も次回都合がつけば、参加ができればと思います。沢山の方があの地で素晴らしい経験ができればと思います。
そして今回、我々の活動にカンパしてくださる方もいました。カンパいただいたお金は車のレンタカー代に充てさせていただきました。本当にありがとうございます。


「三六」「あがいてぃーら」「なかよし食堂」そして、「なんくるないさーず」
いろいろなグループ名が生まれました。私はネーミングのセンスは全くないですが、
どれもいいネームだと思います。
同じメンバーで活動する事はなかなか無いかもしれないのですが、
いろいろ楽しかったり、勉強させてもらったりしました。
ありがとうございました。


何となく回を重ねる毎に自分の色はこんなのではないかと思ながらの試行錯誤です。
わたしのトークは泥臭くて拙いトークですが、
心と心を繋ぐためのトークだと思っているので、
まぁ、こんなのでいいんじゃないかと今は思っています。


今後またそれぞれ出来る事を頑張ってゆきましょう。
今年はもう少し八重山民謡を少しでもキチンと唄える事が目標です。


東京に帰ってから翌日、前回の南相馬で一緒に活動させていただいた、
中国気功のTさんとお会いし、今回の活動を報告しました。
Tさんはよく「大事なのは続ける事だよ」とおっしゃります。
その言葉を聞いて、真冬の辛い時期に被災地を励ましたいと思い、
この活動を始めた当初の思いを思い出しました。
またTさんと一緒に活動できたらいいなと思っています。


この旅はしばらくはずっと続きますが、一旦ここまでです。
毎回思いますが、次回はもう少し写真をたくさん撮ろうと思います。

東北・宮城へ 2012/06

6月23日・24日の両日に宮城県南三陸町石巻市に沖縄三線の演奏に行きました。
東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。

4月に行動を共にしたKさんと、福島県いわき市にて活動予定でしたが、
いろいろあって私は宮城県で急遽一人で活動する事になりました。
行き先を検討した結果、何度か訪問させている宮城県石巻市南三陸町をまた訪ねる事にしました。


トータルで仮設住宅、6カ所での活動を行いました。
ひとりで6カ所回った事はこれまで無く、初めてのチャレンジでもありました。
前日に夜行バスで仙台に移動し、レンタカーを借りて三陸沖へのドライブです。
恋心ではありませんが、道中、胸がなぜか踊ります。

6月23日 南三陸町

3カ所の仮設住宅での活動となりました。

南三陸町での訪問は確か5回目となります。毎回、スケジュールは過密ですが、
その中で、今までと違う南三陸町を見る事ができればと思っての訪問でした。



最初は、小森仮設住宅で13時より活動をしました。
12月に高橋さんと二人で行ってきた場所です。もう三回目の演奏となる場所です。
会場に到着しましたが、最初だれもいません。駐車場にも誰もいない...
みなさん、どこか買い物でも行かれているんだろうなぁと思い、
のんびり待っていると、二人、三人やってきてくれました。
見た事のあるお顔がたくさんおられます。
最終的に開始予定時間から、15分ほど遅れて10数人の方が集まってくれました。
私のそれほど上手くない唄を聞きにきてくださるのは、沖縄民謡と三味線の音の癒し、
そして住民の方のやさしさだと思っています。
最近の事を思い出しました。他の仮設の自治会長さんと電話で話をしていた時にこう言われました。
「前に君が来てくれた時は、沢山来たかもしれないけれど、
今度来てくれる時は、みんな仕事で忙しいかもしれないけど、がっかりしないでね。」と言われました。
はるばる来る来訪者に対して、感謝の気持ちを表したいから、住民の皆さんが見に来てくれていたのでした。
自治会長さんとの電話の内容で改めて、住民のみなさんの訪問者に対する優しさを身にしみて感じました。
そんな気持ちで、懲りずに私に会いにきてくださる方がいる事にただただ感謝でした。
レパートリーもあまり変わりませんが、できる限りの唄を唄い、皆さんと楽しい時間を過ごし、
沢山握手して会場を後にしました。


2カ所目は、志津川高校仮設住宅です。
この仮設はとても外壁の雰囲気がおしゃれな仮設です。
比較的遅くに出来た仮設住宅のようです。
でも「となりの声が筒抜けなのよ。」とおっしゃる通り、中身は他の仮設住宅と同様のようです。
志津川高校は初めての訪問でしたが、とても楽しい空気の中で演奏できました。



志津川高校仮設は高台の場所にあって、町が一望できます。
町の多くがガレキと更地で、とても悲しい光景です。
住民の方の一人がこうおっしゃりました。
「この町には、お金持ちや貧しい人、いろんな人がいたのよ。
でも津波でみんな流されて、みんなが裸一貫になっちゃったのよ。」
そうため息をつく住民の方も、必死にこの状況を変えようと、
みんなで手を繋いで頑張っておられるように思いました。


3カ所目は夜の演奏だったので、しばらく時間が空きました。
せっかくなので、お風呂に行ってみる事にしました。
南三陸町で一番大きなホテル「南三陸ホテル観洋」で立派なお風呂が借りれると
聞き、行ってみました。
ホテルには多くの宿泊客と、復興関係者でごったがえしていました。
みんながそれぞれの形で復興に関わっていると感じました。
お風呂は露天風呂でとても大きく、お風呂から見る、三陸沖の景色がとても美しかったです。
震災前に盛んだった養殖漁業も元の姿に少し戻っているという事が、
海を見る景色で見て取れる事ができました。


テレビなどで話題になった志津川集落の志津川病院も解体工事が始まっています。
数ヶ月後にはすべてが更地になるとの事です。


そして本日3カ所目の仮設に到着しました。
昨年12月に演奏させてもらった港仮設住宅にです。
半年ぶりなので少し懐かしく思っていました。
皆さん、徐々に仕事も元の形で、漁業や土木関係、それぞれの仕事に忙しくされているとの事です。
仮設の自治会長さんはとても面倒見のいい兄貴的なお父さんです。
今回ここで泊めてもらう事にしました。
仮設で泊めてもらう事は初めての経験だったので、とても楽しみにしていました。
そしてライブです。予想したよりも夜は涼しく心地良い天気でした。
「やませ」から来る独特の東北の気候からでしょうか。


ライブが終わってからは、自治会長さんといろいろな話をしながら、
お酒を飲みました。震災という本当に大変な思いをしながらも、
笑顔で住民みんなをまとめあげる
会長さんは尊敬すべき兄貴のような方でした。
ある組織のトップとして長くはたらいて来た、会長さんは
「自分の信じる上司を見つけたら迷わずついていけ。」
「自分が筋のとおった行き方をしているか常に考えてみろ。」
管理職として、定年まで勤め上げた自治会長さんの言葉は今も精力的です。
現職の尊敬すべき上司や、職場について改めて自分を尽くす事ができればと思いました。



会長さんには一つの思いがあります。
「みんなでこの仮設を出て、震災前の自立した暮らしに戻す事。」です。
この港仮設の住民を連れて、仮設を出て集団移転をしようと呼びかけています。
港仮設の雰囲気は何となく分かりやすいのですが、
会長さんを筆頭に一枚岩で、みんな一致団結しているイメージが強いです。


6月24日 石巻市

3カ所の仮設住宅での活動となりました。


石巻は去年の5月に初めて訪れた場所です。
その時は、湊小学校近くで側溝の泥かきやお墓の掃除等を手伝わせてもらいました。
宮城に来ると、まず訪れたいと思うのが、石巻市です。




まず、活動の前に市内にある、日和山を目指します。
活動を始める前に市内を一望できる場所から町を眺めたいと思いました。
日和山の山頂から見ると、あたり一面が津波の被害を受けた事を理解できます。
海沿いは多くの場所が更地になっています。
至るところで復興の為の活動は始まっていますが、町がもとの姿を取り戻すまで、
何年の歳月がかかる事だろうかと思います。まだまだ復興への道のりは始まったばかりです。



一カ所目は、開成第12団地仮設です。管理事務所で鍵を借りて、
会場である集会場を目指します。まず驚く事は石巻市の仮設の規模の大きさです。
石巻仮設住宅には「団地」という名称がついていますが、規模の大きさから納得してしまいます。
管理する人の労力も大変な事でしょう。
石巻市石巻市周辺で被害の受けた方がこの場所で生活をされています。
会場はとても大きいので、集会場の半分を使って演奏をしました。
和やかな雰囲気の中で皆さんと楽しい時間が過ごせました。
ライブが終わってから、管理人のKさんが尺八のお師匠様との事で、
尺八を演奏してくださいました。


写真もブログに載せる事を許可してもらいましたので、今回は載せます。※後で掲載します。
東北各地の民謡を総合的に学べる「全国民謡」を教えられているそうです。
仮設の中でも生徒さんに教えられているそうです。



二カ所目は大橋団地仮設です。
到着すると、ペットを住民の方が共同生活の中で飼うための説明会等が行われていました。
民謡を聞きにきた人は皆無な感じです。あまり宣伝が上手く行っていなかったようです。
毎日、イベントを切り盛りされる状況で仕方がないと思い、
三線を弾きながら仮設の周りを歩き回りました。
ある部屋の前に来た所で、足の不自由なお父さんがおられて、
「集会場に行ってあげたいけど、行けないから、ここで唄ってよ」
と言われました。そして、2曲ほど唄いました。
ここでこの方の為に唄う事こそ、ひょっとして大事な事なのではと思いましたが、
一旦集会場に戻る事にしました。
そうして何人かの人が集まってくれ、演奏をしました。
今回はすべての会場で「えんどうの花」を唄ってみました。
先日訪れた石垣島で宮良長包音楽祭が開かれていたそうなのですが、
会場の石垣市民会館大ホールの裏で学生が演奏しているのを聞いて、
「奇麗な曲だなぁ」と思って聞いていました。
唄い込みが足りないけれど、チャレンジしてみました。
あまり出来は良くなかったけれど、みんな「奇麗な唄だね。」としきりに言ってくれました。
励まされているようで、申し訳ない気持ちでした。
次はもっと練習して、奇麗なえんどうの花が唄いたいです。


三カ所目は、南境第七仮設です。
仮設の中に三つの集会場があり、ここも規模が本当に大きい仮設です。
ここでも沢山の方が集まってくださいました。
この仮設の近くに大きなガレキの集積場があります。
昨年5月に来た時にこのガレキの集積場を見て、とんでもない量のガレキに驚いた事を覚えています。
当時見たガレキはガレキ袋の中に入れられたけれど、ガレキの量はいっこうに減らない状況です。
このガレキはいつになれば奇麗に無くす事ができるでしょうか。
去年のように蠅が大量発生するかもしれませんし、衛生面での心配が今年も心配になります。
ここでも皆さんと楽しい時間を過ごせる事ができました。




最後はレンタカーを借りた仙台に戻りました。
おいしいラーメンを食べて、仙台を後にしました。
また宮城に帰ってきたいです!

最後に

なんとか6カ所無事に唄いきることができてほっとしました。
相変わらずの拙い演奏ですが、
心を繋ぎたい、住民の方に寄り添いたいという思いは何となくですが、
今回も達成できたのではないかと思います。


次回はくぼちよ教室の仲間と南相馬に行ってこようと思います。

東北・福島へ 2012/05

5月19日・20日の両日に福島県南相馬市に沖縄三線の演奏に行きました。

東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。

今回は一人での活動でした。ずっと訪問したかった南相馬市に二日間行ってきました。
移動は福島市までは夜行バスで移動し、レンタカーで山道を抜けて南相馬市に向かいました。
前回訪問したいわき市と同じ福島県太平洋沖の地域ですが、
福島第一原発事故のせいでアクセスが大変不便になってしまっていました。

トータルで5カ所での活動を行いました。

5月19日 南相馬市

5月19日は二カ所の仮設住宅での活動となりました。
南相馬市には20ヶ所以上の応急仮設住宅が存在します。
津波で自宅が被害にあった方や、福島第一原発事故の影響で警戒区域に指定された地区の
方が主に仮設住宅での避難生活を余儀なくされています。


まずは、南相馬市の鹿島区にある、角河原仮設住宅で13時より活動をしました。



まずこの会場では手違いがありました。
私の確認不足で、予めチラシを配布する事が出来なかったため、
宣伝が全く行えていませんでした。
急遽三線を唄いながら演奏し、各家庭の周りを回る事にしました。
「これからライブしますよ」といいながら。
すると何人かの方が「良い音色ね。」と声をかけてくださいました。
宣伝の結果、20人近くの方が集まってくださいました。本当に感謝です。


前回の川鍋さんとの活動を生かして、大きな歌詞カードを作りたかったのですが、今回は時間が足りず、断念となりました。
一人での活動は今回で3回目となり、大分余裕を持って演奏ができるようになりました。
曲は沖縄民謡/ボップスに八重山民謡を混ぜた10曲程度の演奏をさせてもらいました。
最後はやっぱり「故郷」を唄いました。今も故郷に帰れない方がいる場所で、故郷を唄うなんて、ふざけてるんじゃないかと自問自答しましたが、会場の皆さんと心の交流をしたいという思いで、心を込めて歌いました。私は自分の故郷を思い唄を歌いました。


演奏後、会場で一年前の話を何人かの方に聞かせていただきました。
具体的にここで書く事は控えたいのですが、とても辛い話で、
一年経っても、被害を受けられた方達の心の傷はまだまだ消える事は無いのだろうと思いました。



次は15時より塚合第二仮設住宅でのライブです。
こちらはチラシも段取りよく、住民の方に回覧されていました。
更に集会場に大きな手作りの告知ポスターを作ってくださいました。
ありがとうございます!こちらでは50名を越える方が見に来てくださいました。
一人で活動をした中では、一番多いお客様で大変恐縮していましたが、
緊張せずに自分の出来る演奏が出来たと思いました。
八重山民謡については、今回「小浜節」のみを唄わせてもらいました。
南相馬市に来るまで、のどの調子があまりよくなく、キーの高い音が出るか大変心配でしたが、
何とか意図したキーで唄う事ができました!
来月中旬のコンクールでは良い声で唄えますように!



会場に来た時は、どこの馬の骨か分からない、
私に対して嫌疑の思いを持つ方もおられますが、
ライブが終わってからいろいろ声をかけてもらえるととても嬉しいです。
ここでも住民のお父さん方と話をし、少しだけ仲良くなれた事を嬉しく思いました。
いつも感じる事ですが、継続的な交流ができて、より深い心の交流ができればと思います。
塚合第二仮設住宅は170を越える世帯が生活している規模の大きな仮設住宅で、
仮設のデイサービスも併設されています。
イベントの数も多く、自治会長さんの苦労も耐えないと思いますが、ありがとうございました。
お世話になりました。


これで19日のライブ予定は終了したのですが、
翌日10時からのライブについても、私の手違いにより、
ビラの配布が出来ていなかった為、急遽宣伝をする必要がありました。
夕方5時頃から一時間ほど、翌日ライブを行う会場に行き、
仮設の周りを三線を弾きながら宣伝しました。
「明日の朝10時からライブがありますよと。」
三線を弾きながら仮設を回ると、物珍しいのか、多くの方が声をかけてくださり、
話をする事ができ楽しかったです。
その中で一人の若者と話をする機会がありました。
彼がいうには、多くの若者が違う土地に避難をしていたり、
周りの友人では震災をきっかけに離婚が増加したり、難しい問題の話が多くです。
若者にとってもなかなか前向きになれない現実があります。
宿に帰るとやはりバタンキューでした。お疲れさまでした。

5月20日 南相馬市



5月20日は三カ所の仮設住宅での活動となりました。
まずは、10時からのライブを行うために、千倉仮設住宅に向かいます。
朝、千倉仮設住宅自治会長様から電話があり、
「今日は自宅に帰らないと行けないんだけど、ライブ宜しくお願いしますね」とご連絡いただきました。

南相馬市の中で、最近まで原発警戒区域に指定されていました、小高区という地域に、
会長様の自宅があります。警戒区域から解除されたと言っても一時帰宅しかできません。
放射線量もとても高く、本格的に除染をしないと本当に帰る事はできません。とても安全とは言い切れません。

20日はとても天気が良く、一時帰宅するには絶好のチャンスだという事です。
一時帰宅がうまくできればいいと思いました。

会場に到着すると、15人ほどの方が集まってくださいました。
集会場の中にはマッサージ機があり、マッサージでマッサージされていたり、
合間に沖縄の唄を一緒に唄ったりしました。楽しいライブでした。


次は13時から原畑第一仮設でのライブでした。
開始まで時間が少しありましたので、仮設の周囲を歩きながら演奏してまわります。
天気もよく、程よい暖かさだったからでしょうか、たくさんの方が声をかけてくださります。
私自身がこの三線の音に癒されてるので、ほぼ同じ気持ちなのではと思います。
この会場は南相馬市の中でも、一番最初の時期に建てられた仮設で高齢の方や体に障害をもった方が優先的に入居をされたそうです。
あまり昭和唱歌の用意ができていなかったので、
ここではもう少し昭和唱歌ができればよかったです。今後の課題です。


最後は15時から友伸グランド仮設住宅でのライブでした。
ここでは東京から来られた中国気功整体のボランティア Tさんとコンビで活動をしました。
Tさんは月に一度この南相馬に来られているようです。
ここでもたくさんの方がたくさん来てくださいました。
Tさんとのイベントという事で、住民の方が私のほうにも少し感心をもってくださったのかもしれません。
整体と沖縄ライブのイベントが終わってからは、最後に友伸グランド仮設住宅自治会長ご夫婦とTさんとで話を聞きました。
気になる話題は小高区の警戒区域の解除の話でした。
19日から小高区のガレキを集めるボランティアも募集されるとの事で、
そちらにも行きたいと思っていました。
自治会長様の自宅も小高区にあるとの事で、先日一時帰宅されたそうなのですが、
まったくなにもできない状態という事です。放射能という目に見えない危険があって何かをするわけにもいきません。
震災前には農業をされていた自治会長さんにとっては
本当にやるせない状態だと思います。
早くこの状態が少しでもよくなりますように強く願います。

まとめ

昨年12月より、友人と被災地の仮設を回るシリーズは、今回で6回目となりました。
これまでいろいろな出会いがあり、自分に様々な大事なものを気づかせてくれる度でした。
今後もこの旅は続けて行きたいと思っています。
資金的に毎月の訪問が厳しくなってきたり問題はありますが、
何とか続けて行きたいと思っています。
読んでくださった方、ありがとうございました。

東北・福島へ 2012/04

4月21日・22日の両日に福島県いわき市に沖縄三線の演奏に行きました。
東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。
今回は八重山民謡の先輩である、川鍋さんと一緒にいく事にしました。
川鍋さんは、介護福祉施設で勤務されていて、日常的にお年寄りの方に歌を聞いていただく活動をされてるようです。
トータルで5カ所での活動となりました。


4月21日 いわき市

今日は2カ所での活動です。レンタカーを借りて東京からの移動となりました。
とてもいわき市は東京から近いです。距離にして約200kmです。
原発問題で福島がクローズアップされますが、東京も無関係で無い事を深く実感します。


最初は、福島原発事故の為に避難をせざるをえなくなった、
双葉郡大熊町の方が暮らされている仮設住宅を目指します。
まずは、大熊町第一仮設住宅に行きました。



仮設に到着すると、大きな広場が作られていました。
これから、いろんなイベントを行いたいとおっしゃってました。
ゴールデンウィーク以降、たくさんの方がこの仮設を訪れて
盛り上げてくれる事でしょう。


まず今回のボランティアライブは演奏する曲について、
これまでの構成からいくつか変更する事にしました。
これまでは沖縄(八重山)民謡 + 沖縄ポップスという構成でしたが、
今回は、沖縄(八重山)民謡 + 昭和唱歌という構成でした。
なぜ昭和唱歌を選んだかというと、私たちが唄うというよりは、
住民の方に唄っていただく為の選曲です。



住民の方は20名ほどの方が集まってくださいました。
最初に八重山民謡等を演奏させていただいた後に、
昭和唱歌を数曲演奏します。
今回のメインは昭和唱歌です。
「二人は若い」「赤いリンゴ」「瀬戸の花嫁」「悲しき口笛」等
を私達は基本的に伴奏のみで、住民の方が歌を唄われます。
みなさん唄ってくださるかが大変心配でしたが、多くの方が唄ってくださいました。
「私はこの一年間歌なんてまともに唄ってないから無利よ。」
とおっしゃる女性もマイクを持って大きな声で歌を歌われてました。
歌をみんなで唄うという機会はなかなか無いようで、とても喜んでもらえました。
よかったという安堵感で会場を後にします。


次は、近所にある大熊町第二仮設住宅です。
ここでも、第一仮設住宅での演奏と同様の構成で、ライブを進行させます。
今回の演奏では、それぞれ、コーナーを分けて演奏するという形式で進めました。
八重山民謡コーナー
・昭和唱歌コーナー(住民の方が唄う)
カチャーシーのコーナー(踊る)
最後は前回いわきを訪問した時も同様でしたが、
「ふるさと」をみんなで合唱して終わります。
お叱りを受けるかも知れないと思っていましたが、
最後にみなさんとどうしても故郷が唄いたかったので、そのようにしました。


第二仮設住宅での演奏が終わり、
明日も引き続き、原発事故によって避難を余儀なくされている方に
お会いするという事で、前回と同様、警戒区域近くまで行ってみる事にしました。
いわき市からは、広野町を抜けて、Jビィレッジまでは
近づく事ができます。とりあえず行ける所まで行ってみる事にしました。
Jビィレッジに近づくにつれ、至る所に、作業員を載せたマイクロバスが
走る事が分かります。

中にいる人達が、福島第一原発で活動をされている事がすぐに分かりました。
何となく現実を感じたくてここに来たのですが、
「何で俺ここにいるんだろう、、、」という後悔の気持ちもありました。
うまく言葉に表せない、すっきりしない気持ちで、宿に向かいます。



4月22日 いわき市


今日は3カ所での活動です。
まずは、鹿島という場所にある、大熊町の方が避難される施設を目指します。 
ここでも昨日と同様の構成で唄いましたが、少しずつ、私と川鍋さんの息もあってきました。

最後に「ふるさとを唄いましょう」というと、
ある方が「俺たちの故郷なくなっちゃったんだよな」と言われました。
笑顔でおっしゃられていますが、心は泣いています。
私たちは何も言えませんし、何もいう資格もありません。
精一杯心を込めて「ふるさと」を唄いました。
演奏が終わってからは、仮設で暮らす2人の姉妹の遊び相手になっていました。
いや、遊んでもらっていたのでしょうかね。
無邪気に絡んでくる姉妹と遊んでいるとホッとしてしまいます。


次は楢葉町の方が避難されている仮設住宅です。

平作町にある仮設に行きました。
唱歌コーナーを進行する段取りも良くなってきました。
今回のボランティアライブの為に川鍋さんが大きな歌詞を作ってくれました。
みんなが前を向いて唄える為の歌詞です。
ここでも皆さん大きな声で歌をうたってくださります。

最後に「ふるさと」を唄い終え、ライブが終わった時に、
目に涙を一杯に浮かべた女性の方が
「本当にありがとう。楽しかった」という言葉と一緒に、
地元のトマトジュースをくださりました。嬉しかったです。
故郷に帰れないという現実を抱えた方に「ふるさと」を唄うなんてと、
躊躇する気持ちも少しありましたが、
結果として演奏して良かったなと思いました。
私自身は自身の故郷を思い浮かべながら、「ふるさと」と唄っていました。



最後は四倉町にある、楢葉町から避難された方の仮設住宅を目指します。
こちらはこれまでと異なり、住民の方が若い方がおられたからか、
昭和唱歌のうけが、これまでの反応と比較すると若干よくなかったです。
選曲を再検討すれば、もっとよくなる筈と思いました。


そして八重山民謡も下手ながら「赤馬節」「小浜節」を一生懸命に演奏させてもらいました。
もっと上手になって、正しい八重山民謡を披露する事ができればと思います。


まとめ


毎月2日間のボランティア活動を今月も何とか終える事ができました。
川鍋さんには、これまで経験した事のない手法を学ばしていただき、
本当に勉強させてもらいました。ありがとうございました。