東北/福島・いわき市へ 

2013年5月18日/19日/20日と3日間福島県いわき市を訪問してきました。
東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。
2013年からも1月2月4月と活動を継続していましたが、また放置してしまいました。また再開できればと思います。
沢山の人と唄を唄って帰ってきました。


行った場所
5/18
13時〜高久第四仮設(広野町から避難)
15時〜四倉細谷仮設(楢葉町から避難)


5/19
10時〜高久第十仮設(楢葉町から避難)
13時〜四倉鬼越仮設(広野町から避難)
15時〜作町一丁目仮設(楢葉町から避難)


5/20
10時〜小名浜相小島仮設(楢葉町から避難)
13時〜銭田仮設(楢葉町から避難)
15時〜高久第八仮設(楢葉町から避難)


昨夜、高速バスで東京に帰ってきましたが、
車中、何故か色々泣けてきて、考えてしまいました。
数えると被災地訪問は20回を越え、淡々とタスクをこなす回もありましたが、
今回感じたのは大きな「無力感」でした。
2011年10月の時に沢山の仲間と被災地を訪問した時に感じた感覚と似ています。


何人かの住民の方が「楢葉に帰ったら遊びに来てね!」と行ってくれました。
もちろん遊びに行きたい!。でも現実は大変厳しい。
除染は限定的で、地下に解けた放射性物質についても、はっきりと状況が分かっていないと聞きます。
すごく危険に感じます。


ただ、楢葉町内でスーパーが再オープンをしたり、町の人の「帰還への思い」は確実に形になり始めている。
今回の旅で、ならはの中を見て来たらよかったです。時間が無かったのですが、少し後悔しています。
まずは、これから2年後どうなっているかを見つめつづける事にしました。
2年後、仮設住宅を訪問した時にどのように様変わりしているのでしょうか。


演奏後に皆様で写真を取るようにしています。皆様良い笑顔をして下さいます。
被災者の方が何故、皆笑顔で迎えてくれるんでしょう。
私は「嬉しい」からだと思っています。
逆に行く予定の人が来なかったりすると、
住民の方は、その人の事情も理解しながらも大変「寂しい」と落ち込むそうです。
震災が過去の事になってしまうのが大変怖いのでしょう。


故郷へ帰れない方達も、二年が過ぎて少しずつ、前に進み始められています。
ですが、まだ進めない人もいます。
そんな人達と唄を通じて交流し、楽しい時間を過ごしてもらう事が私の役割なんだろうと思います。


今回も家族世帯の仮設住宅を見せていただきましたが、
最低限の生活はできるものの、空間が圧迫してて大変狭いです。
やはり高台移転等、仮設をでてゆく事が自立への第一歩と言えます。
南三陸町等では、町自体の復興はまだまだですが、仮設住宅は来年くらいから、
徐々に減り始めるのでは無いかと思っていますが、福島の場合は、
帰れる土地が危険な場所の為、簡単には進まない事と思います。


若い人と交流を持つ機会はほとんどなく、
本当はどんな事を考えているのか交流してみたいですが、
そのような機会がありません。そのうち生まれるのかもしれません。


いわきで活動して感じますが、仮設住宅等に行って、音楽で交流を持とうとする人は
本当に少ないです。特に個人で行く人は全然いません。
都内で復興チャリティパーティ等もありますが、時には被災地を訪ねて、
自分の目で見て感じる事がものすごく大事なのではないかと。


特に東京からいわきは近いです。高速バスに乗って東京から三時間です。
しようと思えば日帰りもできます!
原発から50km圏内です。何か原発が爆発でもすれば、確実に大混乱しますし、
安全とは言えませんが、今は町の暮らしも安定し初めています。
なんだか被災地が忘れ去られている状況になり始めているのではと、現地を見て改めて感じた今日この頃です。