東北・宮城へ 2012/06

6月23日・24日の両日に宮城県南三陸町石巻市に沖縄三線の演奏に行きました。
東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。

4月に行動を共にしたKさんと、福島県いわき市にて活動予定でしたが、
いろいろあって私は宮城県で急遽一人で活動する事になりました。
行き先を検討した結果、何度か訪問させている宮城県石巻市南三陸町をまた訪ねる事にしました。


トータルで仮設住宅、6カ所での活動を行いました。
ひとりで6カ所回った事はこれまで無く、初めてのチャレンジでもありました。
前日に夜行バスで仙台に移動し、レンタカーを借りて三陸沖へのドライブです。
恋心ではありませんが、道中、胸がなぜか踊ります。

6月23日 南三陸町

3カ所の仮設住宅での活動となりました。

南三陸町での訪問は確か5回目となります。毎回、スケジュールは過密ですが、
その中で、今までと違う南三陸町を見る事ができればと思っての訪問でした。



最初は、小森仮設住宅で13時より活動をしました。
12月に高橋さんと二人で行ってきた場所です。もう三回目の演奏となる場所です。
会場に到着しましたが、最初だれもいません。駐車場にも誰もいない...
みなさん、どこか買い物でも行かれているんだろうなぁと思い、
のんびり待っていると、二人、三人やってきてくれました。
見た事のあるお顔がたくさんおられます。
最終的に開始予定時間から、15分ほど遅れて10数人の方が集まってくれました。
私のそれほど上手くない唄を聞きにきてくださるのは、沖縄民謡と三味線の音の癒し、
そして住民の方のやさしさだと思っています。
最近の事を思い出しました。他の仮設の自治会長さんと電話で話をしていた時にこう言われました。
「前に君が来てくれた時は、沢山来たかもしれないけれど、
今度来てくれる時は、みんな仕事で忙しいかもしれないけど、がっかりしないでね。」と言われました。
はるばる来る来訪者に対して、感謝の気持ちを表したいから、住民の皆さんが見に来てくれていたのでした。
自治会長さんとの電話の内容で改めて、住民のみなさんの訪問者に対する優しさを身にしみて感じました。
そんな気持ちで、懲りずに私に会いにきてくださる方がいる事にただただ感謝でした。
レパートリーもあまり変わりませんが、できる限りの唄を唄い、皆さんと楽しい時間を過ごし、
沢山握手して会場を後にしました。


2カ所目は、志津川高校仮設住宅です。
この仮設はとても外壁の雰囲気がおしゃれな仮設です。
比較的遅くに出来た仮設住宅のようです。
でも「となりの声が筒抜けなのよ。」とおっしゃる通り、中身は他の仮設住宅と同様のようです。
志津川高校は初めての訪問でしたが、とても楽しい空気の中で演奏できました。



志津川高校仮設は高台の場所にあって、町が一望できます。
町の多くがガレキと更地で、とても悲しい光景です。
住民の方の一人がこうおっしゃりました。
「この町には、お金持ちや貧しい人、いろんな人がいたのよ。
でも津波でみんな流されて、みんなが裸一貫になっちゃったのよ。」
そうため息をつく住民の方も、必死にこの状況を変えようと、
みんなで手を繋いで頑張っておられるように思いました。


3カ所目は夜の演奏だったので、しばらく時間が空きました。
せっかくなので、お風呂に行ってみる事にしました。
南三陸町で一番大きなホテル「南三陸ホテル観洋」で立派なお風呂が借りれると
聞き、行ってみました。
ホテルには多くの宿泊客と、復興関係者でごったがえしていました。
みんながそれぞれの形で復興に関わっていると感じました。
お風呂は露天風呂でとても大きく、お風呂から見る、三陸沖の景色がとても美しかったです。
震災前に盛んだった養殖漁業も元の姿に少し戻っているという事が、
海を見る景色で見て取れる事ができました。


テレビなどで話題になった志津川集落の志津川病院も解体工事が始まっています。
数ヶ月後にはすべてが更地になるとの事です。


そして本日3カ所目の仮設に到着しました。
昨年12月に演奏させてもらった港仮設住宅にです。
半年ぶりなので少し懐かしく思っていました。
皆さん、徐々に仕事も元の形で、漁業や土木関係、それぞれの仕事に忙しくされているとの事です。
仮設の自治会長さんはとても面倒見のいい兄貴的なお父さんです。
今回ここで泊めてもらう事にしました。
仮設で泊めてもらう事は初めての経験だったので、とても楽しみにしていました。
そしてライブです。予想したよりも夜は涼しく心地良い天気でした。
「やませ」から来る独特の東北の気候からでしょうか。


ライブが終わってからは、自治会長さんといろいろな話をしながら、
お酒を飲みました。震災という本当に大変な思いをしながらも、
笑顔で住民みんなをまとめあげる
会長さんは尊敬すべき兄貴のような方でした。
ある組織のトップとして長くはたらいて来た、会長さんは
「自分の信じる上司を見つけたら迷わずついていけ。」
「自分が筋のとおった行き方をしているか常に考えてみろ。」
管理職として、定年まで勤め上げた自治会長さんの言葉は今も精力的です。
現職の尊敬すべき上司や、職場について改めて自分を尽くす事ができればと思いました。



会長さんには一つの思いがあります。
「みんなでこの仮設を出て、震災前の自立した暮らしに戻す事。」です。
この港仮設の住民を連れて、仮設を出て集団移転をしようと呼びかけています。
港仮設の雰囲気は何となく分かりやすいのですが、
会長さんを筆頭に一枚岩で、みんな一致団結しているイメージが強いです。


6月24日 石巻市

3カ所の仮設住宅での活動となりました。


石巻は去年の5月に初めて訪れた場所です。
その時は、湊小学校近くで側溝の泥かきやお墓の掃除等を手伝わせてもらいました。
宮城に来ると、まず訪れたいと思うのが、石巻市です。




まず、活動の前に市内にある、日和山を目指します。
活動を始める前に市内を一望できる場所から町を眺めたいと思いました。
日和山の山頂から見ると、あたり一面が津波の被害を受けた事を理解できます。
海沿いは多くの場所が更地になっています。
至るところで復興の為の活動は始まっていますが、町がもとの姿を取り戻すまで、
何年の歳月がかかる事だろうかと思います。まだまだ復興への道のりは始まったばかりです。



一カ所目は、開成第12団地仮設です。管理事務所で鍵を借りて、
会場である集会場を目指します。まず驚く事は石巻市の仮設の規模の大きさです。
石巻仮設住宅には「団地」という名称がついていますが、規模の大きさから納得してしまいます。
管理する人の労力も大変な事でしょう。
石巻市石巻市周辺で被害の受けた方がこの場所で生活をされています。
会場はとても大きいので、集会場の半分を使って演奏をしました。
和やかな雰囲気の中で皆さんと楽しい時間が過ごせました。
ライブが終わってから、管理人のKさんが尺八のお師匠様との事で、
尺八を演奏してくださいました。


写真もブログに載せる事を許可してもらいましたので、今回は載せます。※後で掲載します。
東北各地の民謡を総合的に学べる「全国民謡」を教えられているそうです。
仮設の中でも生徒さんに教えられているそうです。



二カ所目は大橋団地仮設です。
到着すると、ペットを住民の方が共同生活の中で飼うための説明会等が行われていました。
民謡を聞きにきた人は皆無な感じです。あまり宣伝が上手く行っていなかったようです。
毎日、イベントを切り盛りされる状況で仕方がないと思い、
三線を弾きながら仮設の周りを歩き回りました。
ある部屋の前に来た所で、足の不自由なお父さんがおられて、
「集会場に行ってあげたいけど、行けないから、ここで唄ってよ」
と言われました。そして、2曲ほど唄いました。
ここでこの方の為に唄う事こそ、ひょっとして大事な事なのではと思いましたが、
一旦集会場に戻る事にしました。
そうして何人かの人が集まってくれ、演奏をしました。
今回はすべての会場で「えんどうの花」を唄ってみました。
先日訪れた石垣島で宮良長包音楽祭が開かれていたそうなのですが、
会場の石垣市民会館大ホールの裏で学生が演奏しているのを聞いて、
「奇麗な曲だなぁ」と思って聞いていました。
唄い込みが足りないけれど、チャレンジしてみました。
あまり出来は良くなかったけれど、みんな「奇麗な唄だね。」としきりに言ってくれました。
励まされているようで、申し訳ない気持ちでした。
次はもっと練習して、奇麗なえんどうの花が唄いたいです。


三カ所目は、南境第七仮設です。
仮設の中に三つの集会場があり、ここも規模が本当に大きい仮設です。
ここでも沢山の方が集まってくださいました。
この仮設の近くに大きなガレキの集積場があります。
昨年5月に来た時にこのガレキの集積場を見て、とんでもない量のガレキに驚いた事を覚えています。
当時見たガレキはガレキ袋の中に入れられたけれど、ガレキの量はいっこうに減らない状況です。
このガレキはいつになれば奇麗に無くす事ができるでしょうか。
去年のように蠅が大量発生するかもしれませんし、衛生面での心配が今年も心配になります。
ここでも皆さんと楽しい時間を過ごせる事ができました。




最後はレンタカーを借りた仙台に戻りました。
おいしいラーメンを食べて、仙台を後にしました。
また宮城に帰ってきたいです!

最後に

なんとか6カ所無事に唄いきることができてほっとしました。
相変わらずの拙い演奏ですが、
心を繋ぎたい、住民の方に寄り添いたいという思いは何となくですが、
今回も達成できたのではないかと思います。


次回はくぼちよ教室の仲間と南相馬に行ってこようと思います。