東北・岩手へ 2012/01

気がつけば、2年近く更新を放置していました。
小金井市住民という事でつけたタイトルも住所が変わってしまったため、
いろいろ趣旨は書き始め当初と異なりますが、久しぶりに記事を書いてみたいと思います。

はじめに

28日、29日の両日、岩手県の各地に沖縄三線の演奏に行きました。
東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。
当初は私の兄弟子である、八重山古典民謡保存会の
久保田晃平教師に付き添う形で、昨年の7月/10月に被災地へ行きましたが、
どうしても自分の力で成し遂げたいという思いで、
昨年12月から、友人を連れて、ごく少人数で行く行為を開始しました。

メンバー

・私
・HAYA(八重山民謡を一緒に学ぶ同門の仲間)
・たかはしさん(昨年12月に一緒に宮城に行った仲間)
の3人でした。
最初は私とHAYAの2人で開始し、
29日の昼から、たかはしさんが加わりました。

グループ名

グループ名が何か必要との事で、HAYAがつけてくれた名前は
「あがいてぃーら」(※昇る太陽の意)という素敵な名前をつけてくれました。

1月28日 宮古・大槌

宮古市で2カ所、大槌町で1カ所活動をしました。
岩手県盛岡まで新幹線で北上し、レンタカーを借りて
宮古市に向かいました。
開始まで時間があったので、


宮古市の鍬ヶ崎にある、「魚正」さんでお寿司のランチを食べました。
「魚正」さんも大きな被害を受けたが、何とかおいしいお寿司を提供したいとの強い思いで、
お店の営業を再開されたそうです。
まぐろといかがおすすめとの事でしたが、とても新鮮でおいしい魚を堪能しました。
宮古に行かれたら、是非海の幸をご堪能下さい。
http://r.tabelog.com/iwate/A0304/A030401/3000045/


そしてライブです。
宮古市の一カ所目は、鍬ヶ崎という地域でした。
大変大きな被害を受けた地域です。
演奏は初回の緊張からか、特にいろいろ間違えた(※本当に反省)
のですが、へこまず楽しく演奏ができました。
少しだけ度胸がついてきたのでしょうか。
私の母親くらいの年齢の女性がお客さんに多いです。
宮古市は、沖縄県宮古島多良間村姉妹都市の関係だそうです。
演奏後、お茶っこ(岩手では近所の人が集まるティータイムの時間をそう呼ぶそうです。)
に少し混ぜてもらったのち、会場を後にします。


宮古市の二カ所目は、崎山という地区に行きました。
こちらでも同様の演奏を行いました。
鍬ヶ崎よりも少し高齢の方が多かったです。
会場でこたつの中で、ちゃんちゃんこを着ながら、
待って下さっていて、テレビで見たような光景です。
最終的には、カチャーシーで皆様の笑顔が見れたのですが、
なかなか雰囲気を盛り上げる事が難しかったです。
もっと皆様に寄り添う気持ちが足りなかったのかもしれません。


次は岩手県大槌町のあるサポートセンターに移動し、演奏をしました。

今回サポートしてくださったのは、遠野まごころネットの「大槌おちゃっこ隊」の
皆様です。遠野まごころネットは震災後、様々な活動で被災した地域を支援する
ボランティアネットワークです。
私も昨年5月にお世話になりましたが、またこのように関わりを持てて本当に有難く思います。



今回はまごころネットさんの企画協力のもと、
夜にお酒を少し呑んでいただきながら演奏するという事になりました。
われわれもオリオンビールをわずかばかりですが、持参しました。
少しだけでも、民謡酒場的な雰囲気を、つたない演奏ながら感じてもらえたらと思い、
頑張りました。


ライブ後、大槌おちゃっこ隊の方々と打ち上げです。
いろいろ話を聞きました。
・まごころネットのこと
・いろいろな方が被災地にやってくる話
・仮設の話(集会場の無い小さな仮設から大きな仮設まで数多くの仮設が存在する)


ミュージシャンもたくさん来るそうですが、
とにかく、「俺の歌を聞いてくれ」且つ、クォリティの低い人が少なからずおられるようです。私たちも紙一重かと思っています。
被災地に歌いに行く人は、私も含めてですが、相手がどの様な気持ちで
迎えてくれるのかを、もっと感じなければいけないと思います。


おちゃっこ隊の人と話をしていて、
キチンとしたクオリティで演奏したいと同時に、
もっと皆様の心に寄り添いたくて、ここに来たんだなぁと感じました。
おちゃっこ隊のみなさまと会えてよかった。原点を思いだしました。
春になれば、集会所のない小さな仮設に一人で行こうと決めました。
また可能なら、一緒に活動させてもらいたいです。


まごころネットは5月に震災後初めて行った場所ですが、
どこのボランティアセンターも受け入れを拒否せざるを得ない状況の仲で、
我々を受け入れてくれた場所です。
あの時、遠野で多くの方が流された涙は忘れる事がないだろうと思います。



その後、宿のある釜石市内に戻り、HAYAと2次会です。
市内中心部なのに、津波の被害はいまだ深刻で、
震災から、もうすぐ1年ですが、まだまだ状況はよくなりそうにありません。

1月29日 釜石・陸前高田

朝から桜木町のサポートセンターに向かいます。
こちらも大きな会場です。私たちにはもったいな過ぎる会場です。


この日は地区の新年会を行うとの事で、「マグロの解体ショー」など
興味深いイベントの中に我々の演奏も加えていただきました。
この上ない光栄な話でした。




ほとんどMCのHAYAが頑張ってくれましたが、
私も少しだけ伝えたい事を話しました。
昨年5月に初めてボランティアに来て、
サンマを拾ったり、瓦礫を拾ったりしてました。
音楽を演奏しに来たけど、聞いて欲しいのではなくて、
皆さんと一緒に唄いたい事。
音楽の演奏も、あくまでもボランティアとして取り組んでいる事
を話ました。
そして少し気持ちが楽になりました。
自分の気持ちが通じたのか、空気感が変わり、皆さんと仲良くなれた気がしました。
聞いてくださる方達に感謝をしながら、残りの時間歌を歌いました。


演奏が終わってから、マグロの解体ショーです、
滅多に見れない素晴らしい催し、ぜひ見たいけど、泣く泣く会場を後にします。
ですが、特別に握ってくださったマグロの握りすしを移動中の車内でほおばりました。
ほんとにおいしくて、ずっとよかったなぁと言ってました。


13時に陸前高田に到着しました。
三日市という場所に来ました。
ここから高橋さんが合流して、仮設に向かいます。
こちらの仮設の会長さんは、元々近くの高校の校長先生と聞きます。
ここは車座になって我々を迎えてくださいました。
今まで4箇所で活動しましたが、ここは団結力が抜群でした。
みなさんが元々知り合いなので、コミュニティーが出来上がっていました。
カチャーシーは何も言っていないのに、民謡酒場のように、
輪になってぐるぐる回られていました。
楽しかった!


そして最後は三日市の近くの仮設で活動です。
ここは2年前に西表島で知り合った友達と、友達のお母さんが探してくれた場所でした。
友達は陸前高田出身で、お母さんは陸前高田で生活をされています。
素敵なチラシまで作ってくださいました。本当にお世話になりました。
すこし開始時間に遅れてしまい、
お客さんを待たせてしまいます。本当に申し訳ありません。
最初はみなさんの、どこの馬の骨か分からない我々を見つめておられました。
ですが、ライブが始まり時間が経つと、仲良くなるのに時間はかかりませんでした。
最後はみなさんと一緒に「北国の春」を合唱して終わりです。


ライブが終わり仮設でごちそうを呼ばれます。
ほんとにこんなに甘えていいのかなぁと思いつつも、
住民の方のやさしさに触れて本当に胸一杯の気持ちで東京への帰路につきました。

まとめ

極寒の東北を身をもって経験しましたが、
皆様の温かさをたくさん頂いたおかげか、
寒さはあまり感じませんでした。


MCはHAYAが担当。
いろいろ大変でしたが、
民謡や沖縄ポップスの説明を分かりやすく聞いている人に
伝えてくれたと思います。
ありがとう、HAYA!。お世話になりました。
次は自分で頑張ってみます。


たかはしさんは、元々生まれのルーツが
陸前高田にあり、多忙の中来てくれました。
陸前高田の人達と我々をよりつないでくれたと思います。
ありがとう!。また機会があれば演奏に出かけましょう。


次回は一人で宮城に行ってみようと思います。
「ボランティアは自己完結」とは理解しながら、
実践できていないので、なんとか自分で解決できるようにしたいと思っています。
次はもっとミスを減らすように、そしてもっと「寄り添える」ようにと思います。