東北・福島へ 2012/05

5月19日・20日の両日に福島県南相馬市に沖縄三線の演奏に行きました。

東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。

今回は一人での活動でした。ずっと訪問したかった南相馬市に二日間行ってきました。
移動は福島市までは夜行バスで移動し、レンタカーで山道を抜けて南相馬市に向かいました。
前回訪問したいわき市と同じ福島県太平洋沖の地域ですが、
福島第一原発事故のせいでアクセスが大変不便になってしまっていました。

トータルで5カ所での活動を行いました。

5月19日 南相馬市

5月19日は二カ所の仮設住宅での活動となりました。
南相馬市には20ヶ所以上の応急仮設住宅が存在します。
津波で自宅が被害にあった方や、福島第一原発事故の影響で警戒区域に指定された地区の
方が主に仮設住宅での避難生活を余儀なくされています。


まずは、南相馬市の鹿島区にある、角河原仮設住宅で13時より活動をしました。



まずこの会場では手違いがありました。
私の確認不足で、予めチラシを配布する事が出来なかったため、
宣伝が全く行えていませんでした。
急遽三線を唄いながら演奏し、各家庭の周りを回る事にしました。
「これからライブしますよ」といいながら。
すると何人かの方が「良い音色ね。」と声をかけてくださいました。
宣伝の結果、20人近くの方が集まってくださいました。本当に感謝です。


前回の川鍋さんとの活動を生かして、大きな歌詞カードを作りたかったのですが、今回は時間が足りず、断念となりました。
一人での活動は今回で3回目となり、大分余裕を持って演奏ができるようになりました。
曲は沖縄民謡/ボップスに八重山民謡を混ぜた10曲程度の演奏をさせてもらいました。
最後はやっぱり「故郷」を唄いました。今も故郷に帰れない方がいる場所で、故郷を唄うなんて、ふざけてるんじゃないかと自問自答しましたが、会場の皆さんと心の交流をしたいという思いで、心を込めて歌いました。私は自分の故郷を思い唄を歌いました。


演奏後、会場で一年前の話を何人かの方に聞かせていただきました。
具体的にここで書く事は控えたいのですが、とても辛い話で、
一年経っても、被害を受けられた方達の心の傷はまだまだ消える事は無いのだろうと思いました。



次は15時より塚合第二仮設住宅でのライブです。
こちらはチラシも段取りよく、住民の方に回覧されていました。
更に集会場に大きな手作りの告知ポスターを作ってくださいました。
ありがとうございます!こちらでは50名を越える方が見に来てくださいました。
一人で活動をした中では、一番多いお客様で大変恐縮していましたが、
緊張せずに自分の出来る演奏が出来たと思いました。
八重山民謡については、今回「小浜節」のみを唄わせてもらいました。
南相馬市に来るまで、のどの調子があまりよくなく、キーの高い音が出るか大変心配でしたが、
何とか意図したキーで唄う事ができました!
来月中旬のコンクールでは良い声で唄えますように!



会場に来た時は、どこの馬の骨か分からない、
私に対して嫌疑の思いを持つ方もおられますが、
ライブが終わってからいろいろ声をかけてもらえるととても嬉しいです。
ここでも住民のお父さん方と話をし、少しだけ仲良くなれた事を嬉しく思いました。
いつも感じる事ですが、継続的な交流ができて、より深い心の交流ができればと思います。
塚合第二仮設住宅は170を越える世帯が生活している規模の大きな仮設住宅で、
仮設のデイサービスも併設されています。
イベントの数も多く、自治会長さんの苦労も耐えないと思いますが、ありがとうございました。
お世話になりました。


これで19日のライブ予定は終了したのですが、
翌日10時からのライブについても、私の手違いにより、
ビラの配布が出来ていなかった為、急遽宣伝をする必要がありました。
夕方5時頃から一時間ほど、翌日ライブを行う会場に行き、
仮設の周りを三線を弾きながら宣伝しました。
「明日の朝10時からライブがありますよと。」
三線を弾きながら仮設を回ると、物珍しいのか、多くの方が声をかけてくださり、
話をする事ができ楽しかったです。
その中で一人の若者と話をする機会がありました。
彼がいうには、多くの若者が違う土地に避難をしていたり、
周りの友人では震災をきっかけに離婚が増加したり、難しい問題の話が多くです。
若者にとってもなかなか前向きになれない現実があります。
宿に帰るとやはりバタンキューでした。お疲れさまでした。

5月20日 南相馬市



5月20日は三カ所の仮設住宅での活動となりました。
まずは、10時からのライブを行うために、千倉仮設住宅に向かいます。
朝、千倉仮設住宅自治会長様から電話があり、
「今日は自宅に帰らないと行けないんだけど、ライブ宜しくお願いしますね」とご連絡いただきました。

南相馬市の中で、最近まで原発警戒区域に指定されていました、小高区という地域に、
会長様の自宅があります。警戒区域から解除されたと言っても一時帰宅しかできません。
放射線量もとても高く、本格的に除染をしないと本当に帰る事はできません。とても安全とは言い切れません。

20日はとても天気が良く、一時帰宅するには絶好のチャンスだという事です。
一時帰宅がうまくできればいいと思いました。

会場に到着すると、15人ほどの方が集まってくださいました。
集会場の中にはマッサージ機があり、マッサージでマッサージされていたり、
合間に沖縄の唄を一緒に唄ったりしました。楽しいライブでした。


次は13時から原畑第一仮設でのライブでした。
開始まで時間が少しありましたので、仮設の周囲を歩きながら演奏してまわります。
天気もよく、程よい暖かさだったからでしょうか、たくさんの方が声をかけてくださります。
私自身がこの三線の音に癒されてるので、ほぼ同じ気持ちなのではと思います。
この会場は南相馬市の中でも、一番最初の時期に建てられた仮設で高齢の方や体に障害をもった方が優先的に入居をされたそうです。
あまり昭和唱歌の用意ができていなかったので、
ここではもう少し昭和唱歌ができればよかったです。今後の課題です。


最後は15時から友伸グランド仮設住宅でのライブでした。
ここでは東京から来られた中国気功整体のボランティア Tさんとコンビで活動をしました。
Tさんは月に一度この南相馬に来られているようです。
ここでもたくさんの方がたくさん来てくださいました。
Tさんとのイベントという事で、住民の方が私のほうにも少し感心をもってくださったのかもしれません。
整体と沖縄ライブのイベントが終わってからは、最後に友伸グランド仮設住宅自治会長ご夫婦とTさんとで話を聞きました。
気になる話題は小高区の警戒区域の解除の話でした。
19日から小高区のガレキを集めるボランティアも募集されるとの事で、
そちらにも行きたいと思っていました。
自治会長様の自宅も小高区にあるとの事で、先日一時帰宅されたそうなのですが、
まったくなにもできない状態という事です。放射能という目に見えない危険があって何かをするわけにもいきません。
震災前には農業をされていた自治会長さんにとっては
本当にやるせない状態だと思います。
早くこの状態が少しでもよくなりますように強く願います。

まとめ

昨年12月より、友人と被災地の仮設を回るシリーズは、今回で6回目となりました。
これまでいろいろな出会いがあり、自分に様々な大事なものを気づかせてくれる度でした。
今後もこの旅は続けて行きたいと思っています。
資金的に毎月の訪問が厳しくなってきたり問題はありますが、
何とか続けて行きたいと思っています。
読んでくださった方、ありがとうございました。