東北・宮城へ 2012/02

18日、19日の両日、宮城県南三陸町、女川町に沖縄三線の演奏に行きました。
東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。
今回は一人きりで活動をしてみる事にしました。
これまで新幹線を活用していましたが、今回は高速バスを利用してみました。
冬の東北という事で運転する距離を減らしたいという事と、
移動費をやすく上げたいと考えたからでした。
17日の夜に夜行バスの中で、これまでの事を振り返り、
「本当に自分ひとりで行って迷惑かけないだろうか。」と
不安に思いましたが、いろいろな方が協力してくださって実現した事でも
あり、しっかりやり抜こうと改めて思いました。

2月18日 南三陸町

3カ所で活動をしました。


17日夜に東京新宿を出発したバスは朝6時半に石巻駅に到着しました。
レンタカー屋さんに行く予定時間は9時なので、
大変寒かったですが、する事もないので、街を歩いてみる事にしました。
昨年の5月に訪れた湊小学校までの距離を歩いてみる事にしました。
営業を再開しつつある店もありますが、まだ多くの店は被害を受けたままです。
昨年おとずれたライブハウス「La strada」さんのあったビルは解体されていました。
今はLa stradaさんは違う場所で営業されています。
傷ついた建物が少しずつ更地に変わりつつあります。



しばらく歩くと湊小学校に到着しました。
地震発生以来あった避難所はなくなり、入浴支援施設「希望の湯」も撤去されていました。
一階部分は震災で水没して壊れたままの状態です。
津波が校舎を襲った「3時48分」で時計の針は止まったままです。


さてライブです。
最初は小森仮設住宅で演奏させていただきました。
昨年12月に高橋さんと言った場所です。
またお世話になれて嬉しく思います。
肝心の演奏ですが、いつもそうですが最初のライブは間違いが多いです。
過去に2人で行った時は最初は息もあわず、だんだん回を重ねるごとに息があってくる感じでした。
今回は一人なので、大丈夫かと思いましたが、
初めての1人からか、違う事をしようとして、進行上でうまくいかない部分などがありました。
1人の人が「あんたの顔を見てるだけで癒されるのよ。また来てね。」と行ってくださり
ありがたいと思う反面、もっとクオリティを上げないともう行けないと思い、反省しました。
折角また訪問する機会をくださったのに、申し訳ない気持ちで一杯でした。
でも楽しい時間は作れたと思い、また機会があればと、小森仮設住宅を後にします。


次は戸倉神割キャンプ場仮設住宅です。
戸倉という場所は初めて訪問する場所でした。
戸倉はこれまで歌津と志津川を行き来するルートでは通らない場所でした。
仮設への道を進むにつれ、戸倉も非常に大きな被害をうけた場所だったという事を理解しました。
見てくれた人はすべて女性の方でした。
どの会場も年配の女性が多い。男性は仕事にでているといいます。
来月になると南三陸はわかめの収穫が始まるため、
女性の方も忙しくなるらしいです。
たくさん採れるといいですね。
今度は初回よりはスムーズに進行しました。
途中から85歳のおばあさんが踊りだして、会場を盛り上げてくださいました。
本当私よりも踊り上手ですね。
多くの方と握手をしてお別れします。


最後は戸倉中学校の仮設住宅です。
敷地の中に社会福祉協議会の事務所があって驚きました。
南三陸町がとても大きな地域という事が理解できます。
見てくださったのは30名ほどの方でした。
中にいた女の子供二人にからかわれながらも楽しく演奏をします。
1人で演奏する時は特にカチャーシーが難しいですね。
立派な演奏じゃないので、まずは立派に演奏する事ですが、
盛り上げるのって本当に難しいです。
経験がまだまだ全然足りないけれど、悩んで自分なりの成果を出せるようになりたいです。




宿は朝出発した石巻市内で予約しました。
北上川沿いを車で通りましたが、川が完全に凍結していてびっくりしました。
上品の郷という道の駅に、温泉施設があり体をあっためてから、石巻市に戻りました。

宿に戻り、久しぶりに行きたかった、レゲェ喫茶「Be-in」に行きましたが、
マスターはL.Aに遊びに行っているとの事、さすが自由人ですね。人生を楽しまれていますね。
素敵です。

2月19日 女川町

2カ所で活動をしました。



まずは、昨年12月に訪れた福祉仮設住宅を訪ねました。
二回目だと求められる事も増える。
人が前回と違う。
前回は福祉仮設住宅に同居する知的障害を持つ人達のグループもいて、
彼らが一緒に盛り上げてくれたのですが、今日はいませんでした。

演奏をしていて、楽しんでもらえているのか内心心配していましたが、
最後はカチャーシーで皆さん笑顔でした。ほっとしました。
演奏後は、社協の職員さんと話を少ししました。
地震発生時は深夜12時頃に暖房が切れ、それから五日間ほど暖房がなかったそうです。
みなさん毛布にくるまってひたすら耐えしのがれたそうです。
若い方はまだしも、年配の方がそのような状況で耐えられた姿を想像すると辛くなります。
今の寒さで暖房が無いと思うと本当にキツイです。



女川は市内中心部はほとんどの建物が流されてしまいました。
車で街を通ると、少し高台にある、女川高校の近くまでが家が流されてしまっていて驚きます。
演奏会場の建物である旧町立病院の駐車場が標高20メートルらしいですが、
一階部分が浸水して多くの方が流されてしまいました。
「この更地に建物が経って、去年のにぎやかな場所になるまでは、
10年かかるかもしれませんね。」
そう言って、落胆する職員の方にかけるべき言葉は見つかりませんでした。
もうすぐ地震発生から一年を迎えますが、復興はまだまだまだ先の話です。


次のライブまで時間があったので、少し街を周りました。
ドライブウェイのコバルトラインから、太平洋を見下ろします。
それから、女川名物、穴子丼を「ニューこのり」さんで食べました。

「ニューこのり」さんはお店が流されましたが、仮設の店舗で営業を再開されています。
食べられるか分からなかったので、食べる事ができて嬉しいです。
たくさんの方でお店はにぎわっていました。


そして福祉仮設住宅
八十歳以上の方が多いようですが、正確な年齢は分かりませんでした。
みなさん今は車いすで生活されているようでしたが、
たくさんの方が集まってくださいました。
言葉を発する事も辛そうな方もおられ、
歌が伝わるか心配でしたが、しっかり伝わりました。
最後は多数の方が私の下手な説明でもカチャーシーに応じてくださいました、
皆さん楽しそうだった。手伝ってくださった看護師さんのおかげですね。
ありがとうございました。
途中、難しそうな顔をしてたおばぁちゃんが、
「女川がこんなになってしまってずっと悲しかったけど、
今日は楽しかった。またいろんな場所に行って聞かせてあげなさい。」
と言ってくれました。
こらえましたが涙がでる位に嬉しかったです。来てよかったと思いました。
また会う約束をして東京に戻る仕度をしました。

まとめ

1人で全てやってみて、最低限やりたい事「楽しい時間を作る」事はできたと思います。
前回岩手に行った時に書いた「寄り添う」事については、できたか分かりません。
私は毎日現地でともに生活している訳ではないですし、とても寄り添っているとは言えませんが、
少しでも、そのような気持ちで皆さんと接したいと思います。


そして演奏については、まだまだクオリティが高くないです。
これまで二人だから、ごまかしが効いた部分があれども
それも一人だと期待できません。
ですが、暫くはもうすこし1人で悩みながら、前に進めたいと思いました。
二日間で、合計5カ所の仮設ライブを一人でこなす事ができるか、
のどが持つかを本当に心配しましたが、無事に唄いきる事ができたのは本当によかったです。
のどが少し鍛えられたのかもしれませんが、たまたま、もってくれただけの事かも知れません。
経験を積んで行かないとよく分からない事かもしれません。


今日から新たな一週間です。
新たな気持ちで頑張りましょう。