東北・福島へ 2012/03

3月3日・4日の両日、福島県いわき市に沖縄三線の演奏に行きました。
東日本大震災で被害を受けられた場所へ沖縄民謡やポップスを聞いてもらいに行きました。今回も一人きりで活動をしてみる事にしました。


いわき市は昨年10月に久保田晃平教師に同行していった場所です。
その時はいわき市出身のたかえちゃんがコーディネートしてくれましたが、
今回は自分で考えて活動場所を探してみました。
トータルで4カ所での活動となりました。

3月3日 いわき市

3月3日は1カ所のみの活動としました。


まずはいわき市の泉町にある早稲田集会所という場所にて演奏しました。
この集会場は、いわき市で被災された方が居住する雇用促進住宅や、近隣住民の方が利用される場所です。13時から15時までのお茶会の間で、三線を演奏するという内容でした。先週は二胡の演奏会があったそうです。


いわき市は東北地方の中でも温暖な気候といわれますが、
風は少し強く、まだ肌寒く感じます、春が来るまでもう少しの時間が必要でしょうか。

今回も少し休憩を挟ましてもらいながら、1時間ほど演奏しました。
途中いわき社協の職員の方が飛び入りで島唄を唄ってくださり、
とてもいい雰囲気でした。私も楽しかったです。ありがとうございます。
住民の方から、珍しくリクエストをいただいたのですが、演奏できませんでした。
曲は「さとうきび畑」でした。また来てくださったら、次回は演奏できますように、
覚えておきたいと思います。
最後は皆さんと「ふるさと」を合唱して演奏は終わります。
上の写真は社協の方に許可を頂いて、一緒に撮らせてもらったものです。
いつも写真を撮り忘れてしまう事は非常に残念に思います。


歓談の時間にも混ぜてもらいます。こちらは「お茶っこ」っていうのでしょうか。聞くのを忘れました。
おやつに出たニョッキおいしかったです。いわきの人は気候からか、明るくで社交的な人が多いように感じました。
会がお開きになってから話をしました、
普段される活動の事、来週地震が発生してしまってから一年となる事、そして放射能の話...
放射能の話は積極的にしたくないのですが、どうしても気になってしまいます。
普段東京にいる自分としては無関係では無いですが、貴重な実際の話を聞かせてもらいました。
「みなさん、水道水は飲まない。」
いわき市でも、山の麓は線量が高い場所が多い。」
「食べ物についても気をつかう」
短い時間でしたが、大変お世話になりました。また、これからもお伺いさせていただきたいです。
そう思いながら、集会場を後にします。明日は、いわき市に避難している、楢葉町民の方に歌を演奏しにいきます。現実を知るために、車で楢葉町に近づいてみる事にしました。



小名浜から海岸沿いに楢葉町を目指します。
アクアリーナにも行きたかったのですが、今回は時間が無いので諦めました。ぜひ次回。海岸沿いを車で進むと、被害の大きかった豊間地区が目につきます。
あたり一面がすべて流され大きな傷跡が残る事を改めて目の当たりにします。
もうすぐ震災から一年です。


それからは6号線をひたすら北上し、広野町役場を越えて、J-VILLAGEの手前に来た所で検問に当たったため、北上する事は断念しました。
J-VILLAGEの施設(J-VILLAGEスタジアム)には多くの仮設住宅が建設されていました。
多くの方がこの仮設に寝泊まりしながら、福島第一原発での作業に当たってくださるのだろうと
思い、複雑な気持ちでホテルに戻ります。世界的に名の知れ渡る事になってしまった、福島第一原発まで約20kmの距離でした。



ホテルにもどりましたが、一応旅ですので、先日再開しましたハワイアンリゾートに行ってみる事にしました。
到着した時間がかなり遅かったのですが、十分に施設を満喫しました。
館内に入ると、ちょうどフラガールポリネシアンショーをやってました。
フラガールの踊りと笑顔に旅先での複雑な思いも癒されました。
これからも日本中の心を癒してほしいです。ありがとうございました。


その後は世界最大という露天風呂で体を暖めました。
湯船は暖かいのですが、強烈に冷たい風が顔に当り、変な間隔ではありましたが、心地よい時間でした。
部屋に戻るとぐっと疲れが出たのか、すぐに眠ってしまいました。

3月4日 いわき市

楢葉町の方が避難されている中央台高久の仮設住宅を目指します。
高久に到着した時、昨年10月に来た場所と同じ土地だという事に気づきます。
高久はいろんな地域から避難された方がおられる場所だと理解しました。
仮設住宅があまりにも多く、少し道に迷ってしまいました。
今日は楢葉町から、いわき市に避難された方が居住する仮設住宅3カ所に向かいます。
まず、高久第5仮設住宅です。
十数世帯とそれほど規模の大きくない仮設住宅ですが、多くの住民の方が集まってくださり、演奏しました。
80を越えたお父さんが踊っておどって会場を盛り上げてくれました。私よりも上手ですよ!。
沖縄に移住した方も多くいらっしゃるそうです。
「元気にされてるんですか?」と聞くと、「元気にしてるから、帰ってこないんよ」とおっしゃってました。私も沖縄行きたいなぁ。


次は高久第六仮設住宅です。
お昼休みを挟んでお邪魔させていただきました。
自治会長さんが面倒見の良い方で、この仮設住宅も団結力がありそうに感じます。
こちらでもお話をしながら歌を歌わせていただきます。
今日お会いする方は皆様、楢葉町から避難されている方達です。
皆さん、口を揃えて「2年は我慢する」とおっしゃります。
東電および国に除染をしっかりしてほしいというメッセージです。
本当に東電や国は、もうこれ以上、避難されている方をがっかりさせないでほしいです。もっと目に見えるように、有限実行、身を尽くしてほしいです。



最後に高久第八仮設住宅です。
いわき公園の中に立てられた大規模な仮設住宅です。
ペットを飼っておられる方が主にここに住まれておられます。
会場は大きな集会場でしたが、実は宣伝不足/準備不足から開始時間になっても、誰も集まりませんでした。
しょうがないので「安里屋ユンタ」を歌いながら、仮設の周りをぐるぐる歩きました。そうすると、2人のおばぁさんが声をかけてくれました。
おばぁさん達は、最初「散歩で疲れた」といいつつも、後で集会場にやってきてくれました。やさしいですね。
それで、おばぁさん二人と私の三人でしばらく会話をし、歌も少しだけ一緒に唄いました。
二人のおばぁさんのうち一人は、楢葉町の家に2度、一次帰宅したけど地震当時とまったく変わってないそうです。
本当にしつこいですが、除染ができるならキチンとやってほしいです。
高線量の森や木を除染するのは、至難の技だと住民の方は皆様認識されています。
家の片付けは私も手伝いに行きたいです。
最後の会場ではライブという形で演奏はできませんでしたが、こうして交流する事ができよかったと思いました。

まとめ

昨年7月に久保田さんに同行し、「冬は自分たちの力で訪れたい」と思い、昨年の12月から、2012年1月、2月、3月と毎月、東北を訪問し演奏をする事ができました。
なぜ冬に行きたいかと思ったかというと、冬は夏に比べ、ボランティアで訪問する人も少ないからとおもっていたからです。

確かな事はわかりませんが、いろいろな方の話を聞いて、夏場に比べこの冬被災地を訪れる人は少ないと聞いた意見が多かったので、訪問した事はよかったと思っています。これからたくさんの方が、また夏にかけて被災地を訪れる事でしょう。
来月はお休みするかも知れませんが、また続けて行きたいと思います。